中国「爆発力学の父」、鄭哲敏氏が92歳の誕生日迎える 「馬鹿」になりきって実験繰り返し成果

中国メディアの中国新聞社は9日、「中国・爆発力学の父」と呼ばれる鄭哲敏氏を改めて紹介する記事を発表した。鄭氏は1924年10月2日の生まれで、満92歳の誕生日を迎えたばかりという。

鄭氏は浙江省寧波(ニンポー)の出身で、父親の鄭章斐氏は同地を代表する事業家の1人だった。後に中国を代表する時計のブランドとなる亨得利(ヘンドリー)の主要な出資者でもあった。

鄭哲敏氏は1947年に清華大学を卒業し、米国に留学。専門は熱応力などで、カリフォルニア工科大学で学び、52年に学位号を取得した。鄭氏は米国で学んだ学問や技術を、「新中国」のために役立てたいと願っていたが米中関係が極端に悪化したため、米当局にパスポートを没収されるなどで、帰国できなくなった。

54年に、米国が中国人留学生の帰国問題についての政策を緩和したために鄭氏は米国を離れることができた。スイス、日本、香港などを経由して、4カ月かけて帰国したという。

中国は当時、ミサイルや打ち上げ用ロケットの開発に力を入れていたが、重要な部品の製造もできない状況だった。鄭氏が手掛けたのは爆発で瞬間的に発生する大きな力を利用して金属を加工する爆発加工(爆発成形)で、チームのリーダーになった。しかし、研究スタッフの「能力」と「決意」はあるが、「設備」と「データ」はない「2つはあるが2つがない」状況だった。

設備も手作りで、爆発実験を1回、1回、繰り返しながら、得られた数値で改めて計算することを限りなく繰り返した。鄭氏によれば「安全性は低く、故障率は高い」というリスクだらけの「馬鹿な方法」を限りなく繰り返すことで、技術力を次第に高めていったという。

爆発成形に初めて成功したのは1960年で、小さな碗状のサンプルを作ることができた。当時の中国で中国科学技術界のトップだった銭学森博士は出来上がったサンプルを手にとって「まだ小さすぎると言ってはいけない。(この技術は)将来、大きな役割を果たす」と、感動の声で激励したという。

その後、鄭氏らが開発した技術は「爆発力学」と呼ばれるようになった。鄭氏は爆発力学のリーダーとして、高精度の部品を作り出していった。

鄭氏は中国科学院、中国工程院(技術院)のメンバーだ。それだけでなく、全米技術アカデミーのメンバーでもある。国際的にも一流の科学技術者として認められる存在だ。2012年には、中華人民共和国国家最高科学技術賞も受賞した。

中国新聞社によると、鄭氏は92歳になった現在も、目も耳も問題なく、話す言葉ははっきりしているし、体力の衰えを感じさせる点はない。「資料に目を通していなかったら、こんなしっかりしている人が、92歳の誕生日を迎えた後とは、とても思えない」という。

鄭氏は、国の新たな政策による資源配分の優遇などで、現在の中国は科学技術の発展のために、かつてなかった良好な環境がもたらされたと説明。自分自身も「体の状態が許しさえすれば、国のために、もう少しなにか貢献したい」と考えているという。--------------------–
◆解説◆
上記記事は、鄭氏の文化大革命時代の状況については触れていない。中国メディアは著名人のこれまでの歩みを紹介する際、文革時代については「タブー視」する傾向がある。

しかし鄭氏は2013年に人民日報の取材を受けた際には、これまでの人生で「残念に思うこと」として、文革時代を挙げた。政治運動にかかわる「さまざまな会議に明け暮れ、研究のための時間を浪費したこと」は、後から振り返れば実に残念なことをしたと後悔しているという。

もうひとつの「人生の後悔」は、世界的に高エネルギー粒子やレーザーの分野が勃興しはじめた時期に、研究の条件が整っていないと思い、新たな分野への挑戦を見送ってしまったという。鄭氏は、それまで爆発力学という分野で一定の成果を収めていたため「肝が小さくなってしまっていた」、「新たなチャンスを逃してしまった」ことを、自分自身の失敗として率直に認めた。(編集担当:如月隼人)

 

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Posted by 如月隼人