雑感:「真田丸」を見て

大河ドラマは結構、見ています。同じ人物でも作品ごとに、見方が全く違ったりするのも面白い。

さて、最終回を残すばかりになった「真田丸」です。これ、よくできていると思う。脚本の三谷幸喜さんについて知るところは少ないのですけど、人気劇作家、脚本家というだけのことは十分に(というか、ありあまるほど)ある。

本日(2016年12月11日)に放送された回について、感想を書きます。

ええと、その前に、私の書いている文章(記事など)ですが、多くはドキュメンタリーとも言えるのではないかな。なにか出来事があった場合、事実からは逸脱しないように心がける一方、当事者やその場に居合わせた人の見聞きしたこと、感じたことを伝えるようにする。

と同時に、その出来事がそれ以降に対してどのような影響を与えたかも、できるだけ記述する。

さらに言えば、読者の皆さんの気持ちを、自然に無理ない形で、私の言わんとする方向に向かわせねばならない。

ここでご説明しておきますが、これは決して「強引な誘導」ではありません。ニュース原稿とは、事実に即して書かねばならないのは当然ですが、書き手あるいは編集部の考えも当然、記事に反映されます(なぜその出来事を紹介するかということをふくめて)。

ということで、「真田丸」の話に戻ります。今宵放送分については、「悲劇性」の表出が実に自然で効果的だった。まず、信繁が死を決意したことを、端々で示した。おそらく、今回が最初だったのではないか。前回あたりで、少し出した信繁の決意を、しっかりと示していました。

もう一つ、信繁は今でいうピストルみたいなもの(当時の新兵器)で家康と刺し違えることを構想するのですが、「たとえ家康を殺しても、世の変化は覆らない」と示していた。

2代将軍の秀忠の成長です。これまでは、父親の家康に何か考えを述べても、そのたびに「考えが足りぬ!」などと叱責されていた。それが今回は、父親に対して「甘すぎる!」などと怒鳴りつけた。家康も反論できなかった。

つまり、世代交代がしっかり進んでいるということです。これでは、たとえ信繁が家康を討ち取ったとしても、徳川の世は動かない。信繁の悲劇が際立ちます。

もちろん、最終回には、さらにアッと言わせてくれるどんでん返しがあるやもしれませんが、とにかく「見ている者を状況からじわじわ攻める」という三谷氏の手練手管に、舌を巻く思いで、「真田丸」を見つめています。

 

 


Posted by 如月隼人