中国の「トランプ」対応、いまだ慎重  ただし、南シナ海などで「衣の下に鎧」

中国政府・外交部が13日に行った定例記者会見で、耿爽報道官は米国のトランプ次期大統領が米石油大手エクソンモービルのレックス・ティラーソン最高経営責任者(CEO)を国務長官(外相)に選ぶ方針であることについて、特に批判をしなかった。ただし、南シナ海における中国の行動については、これまで通り強硬な姿勢に終始した。

トランプ次期大統領は選挙戦に勝利してから、♦台湾の蔡英文総統と電話会談♦蔡英文総統を台湾総統(The President of Taiwan)と表現♦米国が堅持してきた「ひとつの中国」政策に疑問を示す――など、中国側としては絶対に容認できない言動を繰り返してきた。

しかし中国側は、トランプ氏に対する批判を抑制しつづけている。13日の記者会見でも耿報道官は、ティラーソン氏の国務長官就任について「中米関係の健全で安定した発展は両国と両国人民の根本的利益に合致する。だれが米国務長官になろうと、中国側は期待をもって、中米関係が新たな出発点に立ち、さらに大きな進歩を得るために、期待をもってともに努力する」と述べた。

耿報道官は一方で、トランプ・蔡英文の電話会談の後に、中国軍機が南シナ海の九段線(解説参照)に沿って飛行したことについては「正常な飛行任務を遂行しただけ」と述べ、同海域に対する中国側の姿勢には全く変化のないことを示した。

中国は、トランプ新政権に対して拙速に反発はしないが、自らのこれまでの主張について妥協はしないという「衣の下に鎧」の姿勢を示し続けている。

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◆解説◆
九段線は中国が南シナ海における権利は全面的に自国にあるとの主張を込めて海上に策定した9本の破線を指す。沿岸国との主張の対立が発生しうる場所だけに引かれているので「9本の線」になっているが、つなげあわせると中国から南に伸びる「南シナ海をすべて覆う『舌』上の領域を囲む。

九段線の基礎になったのは、中華民国の内務省が1947年12月に採用した「十一段線」。中華人民共和国は1953年になり、中華民国の十一段線から、当時友好関係にあった北ベトナム近くにあった破線2本を削除して「九段線」として主張し始めた。

1947年は、第二次世界大戦後に発生した第二次国共内戦の最中だった。まだ国民党軍が優勢だったが、同年5月から6月にかけて共産党軍は国民党軍8万3000人を殲滅し、兵員数も46年の136万人から276人に激増。一方の国民党兵力は430万にから373万人に減少するなど、「勢いの逆転」が進行した時期だった。

当時の情勢からすれば、中華民国が自らの主張である「十一段線」の内側を完全な実効支配化に置くことは不可能だった。にもかかわらず、「十一段線」の主張をした背景には、正統政府たる中華民国こそが、侵略によって損なわれた中国の権利を完全に回復するとの政治的主張が込められていた(第二次世界大戦中、南沙諸島などは日本が占領支配していた)。

国民党勢力を大陸から駆逐し、中華人民共和国を発足した中国共産党も、国民党政権が戦後になり唱えたと同様に「中国から外国勢力を追い出し、完全な自主独立を達成したのは共産党の貢献」と主張した。したがって、中華民国が唱えた「中国が南シナ海全域の権利を有する」との主張は後退させられなくなったと解釈できる。

なお、東シナ海の尖閣諸島についても同様の経緯がある。中華民国(台湾)が尖閣諸島の領有権を主張し始めたのは1971年6月11日。中華人民共和国は同年12月30日になって、初めて同諸島の領有権を主張した。

台湾は尖閣諸島について「台湾本島周辺の島であり台湾に付属する」として領有権を主張している。中国は台湾が馬英九政権下にあった一時期、尖閣問題について台湾と“共闘”して日本に対応することを模索したが、中国の同問題についての主張がそもそも「釣魚島(尖閣諸島の中国側通称)は台湾の一部である。台湾は中国の一部である」との論理にもとづくことだったこともあり、台湾側は応じなかった。(編集担当:如月隼人)