日本の対台湾窓口機関が「日本台湾交流協会」に改称、中国激怒…その背景から見えてくること

公益法人交流協会は28日、2017年1月1日に同協会の名称を「日本台湾交流協会」に変更すると発表した。中国政府・外交部は同日、「強烈な不満」を表明した。交流協会の改称からは、台湾における意識の変化、中台関係における中国側のいらだち、日本政府の対中観など、さまざまな背景を見て取ることができる。

日台関係にさほど詳しくない日本人にとって、「交流協会」と聞いても、「日本の対台湾窓口機関」と類推できる人は皆無だったのではないだろうか。「交流協会」の名称は、極めて不自然だったと言える。

1972年9月の日本・中華人民共和国の国交樹立および日本・中華民国の国交断絶にともない、日本における中華民国大使館は閉鎖されることになった。しかし、日台間には経済をはじめとする人の交流などで極めて密接な関係があった。そこで同年12月、日本側では交流協会が設けられた。

台湾との交流をつかさどる組織でありながら「台湾」、「中華民国」の名称がないのはいかにも不自然だ。「交流協会」の名称が採用された経緯には、台湾側は「日華交流協会」の名称を、日本側は「日台交流協会」の名称を望み、合意できなかったからとされている。

当時は蒋介石が存命中で、中華民国こそが台湾を一部分とする中国全土の正統政府と強調していた。国際社会が台湾と関係を持つとすれば、その関係は中華民国(=中国)との関係であるとの建前は絶対だった。

ちなみに、スポーツの国際大会で台湾代表団が出場する際のチャイニーズタイペイの名称だが、国際オリンピック委員会は当初「台湾」の呼称を提案したが、台湾側が「全中国の代表チーム」との立場で反対し、結局はチャイニーズタイペイ(中華台北)の呼称で妥結したという経緯がある。

「交流協会」との名称は、1972年当時における台湾側の「日本とわれわれの関係は日本と中華民国の関係である」との主張と、「中国との関係上、中華民国とに絡む呼称は採用できない」との日本の思惑の妥協の結果だった。「交流協会」との不自然な名称はその後、使い続けられた。日本にとっても中国を刺激しないための「棚上げ策」だった側面がある。

今回の「日本台湾交流協会」の名称変更について、日本から台湾側への打診があったことは間違いない。すなわち、台湾側も同意したということだ。台湾側に「中華民国こそが、中国全土を統治する正統政府」との意識がなくなって北こそを意味する。台湾の本土化、つまり「現状の台湾こそが、わが祖国」との意識の定着だ。

一方で、中国政府にとって台湾における「台湾こそがわが祖国。中国は関係ない」との意識の定着は、きわめて不都合だ。

中国政府・外交部(中国外務省)の華春瑩報道官は28日の定例記者関係で、交流協会の改称について「われわれは、『2つの中国』、『ひとつの中国、ひとつの台湾』を作ろうといういかなるたくらみにも反対を堅持している。日本の台湾問題に対する消極的な措置に対して強烈な不満を表明する」などと、強く反発した。

中国にとって「台湾は中国の不可分の一部分であり、将来的には中華人民共和国のに統一されねばならない」ということは国是だ。これまでそのように国民に告げてきた以上、撤回することはできない。日本が交流協会を改称したことは、中国にとっては「最大限に腹立たしいこと」と言える。

日本政府としては、「日本は、あなたの思い描く通りの『国際情勢絵図』に従うとは限りません」との決意を中国に突き付けたことになる。(編集担当:如月隼人)