ユーゴスラビア娘との思い出(3)認める。確かにオレはやった

北京に留学した時の思い出。会話をかわすようになったユーゴスラビアの美女学生のアニーが日本人のK君とつきあいたいとのことで、かげながら協力した。結局、アニーの口から「K君とつきあうようになった。“最後”までいった」ということを聞いたというところまで、ご紹介しました。


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ふむふむ。“北京の恋の物語”も一段落。私のキューピッド役も一段落と、そう思っていたのですが、3週間ほどたってから、どうも私に対する視線が変になってきた。


どんな視線かというと、女子留学生の視線が変だ。世界各地からくる留学生と、できるだけ会話するようにしていた。といっても全員と知り合いになるのは無理だ。男性では、エジプトやシエラレオネ、ヨルダン(シャワールームでひどいめにあった)、モンゴル、あと北朝鮮の学生とよく会話するようになった。


女性では、アニーを含めてユーゴスラビア、あとカナダ、イタリアから来た学生に、知り合いができた。ユーゴスラビアの女子学生とは、知り合った直後に日本人学生数人とお酒を飲みに行ったり、向こう側に、お父さんが実は北京駐在の外交官という女子学生がいてホームパーティーに誘われたりして、ほとんど全員――10人ぐらいだったかなあ――と知りあった。


ところが、その親しかったはずのユーゴの女子学生が、なぜか口をきいてくれなくなった。キャンパスで出会って挨拶しても“シカト”状態。視線をそらせてしまう。 そのほかの国の女子学生も、私を避ける人がでてきた。なにがなんだか分からない。


女子学生の人数は男子より少ない。男子学生の寮は何棟もあったけど、女子学生は当時、「8号楼」という1棟にまとまって寄宿していた。語言学院の名言として「8号楼はひとりの女だ」てな言葉があった。いろいろな国から来てるのだけど、とにかく情報の伝達が速い。一晩で共有している。


「おっかしいなあ。なんか嫌われることでも言ったかなあ」と思っていたら、日本人の女子留学生が教えてくれた。「ずいぶん、悪い噂がありますよ」って。


え。なんのことだ。さっぱり分からない。で、聞いてみてやっと分かった。アニーとK君はつきあって、すぐに別れてしまった。ま、それらしい理由も聞いたけど、確実でないから、ここでは伏せておきます。とにかく別れた。


アニーは、天真爛漫な娘でしたからね。ずいぶん傷ついて、周囲の同国の女子学生に「日本人と別れた。つきあってすぐだったのに、ダメになった」と言ったらしい。


その結果、これは私の推測ですが、ユーゴスラビアの女子学生の間に「アニーが悪い日本人にだまされた」と伝わったらしい。 さらにさらに、アニーは、つきあったのがK君とは、周囲に言っていなかった。ただ「日本人とつきあいはじめた」、「だめになった」とだけ伝えた。


当然、「相手はだれだ」ということになる。その結果「そういえば、アニーは毎日、“あの男”の部屋に通いづめだった」ということになる。そういうことで、私が“極悪色魔の犯人”にされてしまった。 ううう。


日本人の女子学生にまで、「色摩」あつかいされるのは、さすがにつらい。幸い、事情を多少知っていた日本人男子学生もいたので、授業の合間なんかの雑談に、さりげなく話をそっちの方向に持っていって、「そういえばK君はユーゴスラビアのアニーとつきあったんだけど、すぐに別れちゃったみたいだよね」とふって、男子学生に「そうみたいですねえ」と言わせるなんて、似合わぬ腹芸をしました。


まあ、日本人の女子留学生の誤解は、だいたい解けたみたい。ユーゴスラビア人の女子学生のみなさんとは、話しかける度胸すら失せてしまったから、最終的に、どのように思われておたかは、よく分からない。カナダとかイタリアの女子学生とはしばらくして、普通に話すようになった。「アニー問題」には、こちらも触れなかったから、どう考えていたかは分からない。


いまいちど、ここで天地神明に誓って言っておきます。


私はアニーと、たしかにやった。何度もやった。楽しかった。アニーもずいぶん興奮した。た・だ・し、やったのは「じゃんけん」だけ。それ以上は、なにもない。コメントにあったので念のためにつけくわえておきますが、「野球がらみのじゃんけん」もしていない。純粋なじゃんけんだけです。(おわり)