雑感:これはショッキングだ、ただし考えてみれば・・・

<外国人犯罪デマ>被災地半数聞き86%信じる

 

2011年の東日本大震災直後に宮城県で流れた外国人による略奪や窃盗、さらには遺体損壊のデマを、仙台市に当時住んでいた人の86.2%が信じたそうです。記事は、人々がデマをどの程度信じたについては説明していません。「絶対にそうだと思った」、「そんなこともあるかと思った」、「もしかしたらそうかなと思った」など、程度はいろいろあるはずです。

それにしても、9割近い人が「外国人による犯罪行為」を信じたというのはショッキングです。この記事を読んで、多くの人が1923年の関東大震災発生後に発生した「朝鮮人による凶悪犯罪や暴動」のデマにより発生した朝鮮人虐殺事件を思い出したと思います。

やはり、ショッキングな数字です。外国人に対する差別感情がありあり。ということで、こういう調査を知ると、「人々の心から差別感情をなくせ」という主張が出てくるかもしれない。ただ私はちょっと違う考えを持っています。人の心から差別感情を撤去するのは、ほぼ不可能と考えているからです。

人は、自分とは異なるグループの構成員に違和感、そして警戒感を持つ存在と考えています。人はまだ「サル」だった時代から200万年とか300万年とかの時間を通じ、そういう感覚を本能に組み込んできた。それがたかだか数十年とか数百年で除去することはできないとの考えです。

人の、他のグループの構成員への警戒感は、100万年単位では種と群れと個を生き延びさせるためにプラスに作用してきた。だからこそ、そういう本能が定着した。実際には、人の社会が進歩するにつれ、異なる群れが「敵」と認識することを前提とすることは、人の存在にとってマイナスに作用するようになってきた。私はそのことを象徴的に反映するのが、おおむね2000年前かもう少し前に出現した大いなる慈悲を説く仏教や愛を説くキリスト教の成立と思っています。

話を元に戻すと、「他の群れに対する前提条件としての敵視」が発端となる差別感は、現在の人類にとっては負の効果が大きいのに、消し去ることはできない。ではどうすればよいのか。

私は、「自分自身はそもそも他者に対する差別感を持つべく本能づけられている存在だ」と常に自覚することだと思っています。上記記事の話に戻せば、現地の人の多くがデマを信じたことを嘆いたり、憤ったりしても仕方ない。そうではなく、自分自身もそういったデマを信じてしまいやすい存在だと自覚して、何かあった際の判断の助けにすべきと考えます。

さらに言えば、日常にあっても、「人とは自分とは別のグループの構成員に対しては、根拠もなく敵視しがちな存在。自分も例外ではない」との意識を持つべきだと考えます。
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ちなみに、関東大震災の際の朝鮮人虐殺事件の発端になったのは、当時の内務省が各警察警察に対して、朝鮮人が犯罪や暴動を画策しているとして、治安維持に最善を尽くすよう求める内容を含む通達をしたことでした。それを行政機関や新聞などが、確認せずに伝えました。

2011年の東日本大震災の際、宮城県警はデマを1つ1つ事実でないと確認した上で、流言を否定するチラシを避難所に配るなどの対応をしたそうです。東日本大震災は被災地に多くの悲劇をもたらしましたが、住人を助けようと自らの命の最後の最後まで踏みとどまった行政関係者や、秩序を維持し他人への思いやりを忘れなかった住人など、日本社会の底力を示す多くの事例がありました。

宮城県警としても、「外国人の犯罪」という噂を受け、仮に事実であれば対策を施さねばなりません。しかし事実無根と確認した上で、住民の不安や不要な混乱を避けるために最善を尽くした。組織として満身創痍であったはずですが、それでも職務をしっかりとこなしたということで、大災害という困難時のファインプレーとして特記されるべきだと考えます。(編集担当:如月隼人)