天安門事件、発生から28年 台湾・蔡英文総統がFBで中国当局を批判(全文翻訳・解説)

中華民国(台湾)の蔡英文総統は4日午前、1989年の同月同日に発生した天安門事件について、中国当局がいまだに「反革命暴乱を平定した」などと主張していることを批判した。蔡総統が発表した文書の日本語訳は以下の通り。
--------------------—-
本日は6月4日です。28年前に天安門広場で一群の学生と市民が中国大陸の現実に挑戦しました。彼らの行動は、一つの世代全体を啓発しました。

(台湾海峡)両岸の最大の違いは民主と自由です。著名な公共知識分子<解説参照>である北京大学の賀衛方教授は昨年、景美人権文化園区<同>を尋ねた際に嘆息して「毎日発生したことはあなたたちにとっては歴史ですが、私たちにとっては現実です」と述べた。

本日、多くの場所で人々が六四(天安門事件)を通じて民主を求めています。とりわけ、香港です。ビクトリア公園では毎年、六四についての集会が行われます。香港市民が改めて民主への追求を顕彰するのです。過去数年にわたり、台湾に来る香港の観光客は多くなりました。特に若者です。彼らは台湾に来て民主を見ます。自由を見ます。台湾だけではありません。中国大陸の各地で、六四に対しての関心を持ち、民主を心待ちにしている人がいます。前方に民主があれば、いかなる国家も逆走することはできないのです。

したがって、私は北京当局(中国当局)に対して呼びかけます。開放的な態度をもって六四に向き合うべきです。六四を敏感な語にすべきではありません。北京当局は自ら願って1歩を踏み出し、改めて六四に新たな意義を与えるのです。この一点において、台湾は対岸(中国大陸)と民主主義に転じる経験を共有したいと願います。台湾の経験を借りれば、中国大陸は民主改革を行う時の陣痛を短縮できると私は信じます。民主の道では先に到達する人もいます。後に到達する人もいます。しかし結局は到達することになるのです。

そして先月末、賀衛方教授はSNSでの文発表を終えると宣言しました。自分のアカウントが連続して閉鎖されたことに困惑と無力を感じたことが理由です。ただし彼は「天はやはり明るくなる。われわれは立ち止まって夜明けを待とう」と述べました。夜明けを待つのは賀教授だけではありません。台湾を含め全世界もまた、中国大陸の夜明けを待っているのです。

中国が台頭しつつあるのは事実です。しかしその過程において民主が欠如するなら、遺憾なことです。民主的な大国こそ、国を超えての真の尊敬を得るのです。台湾人の李明哲さんは2カ月以上も(中国大陸で)拘束されています。私はこのことについてすでに、中国大陸にとっては小さなことかもしれない、だが台湾人にとっては大きなことだと述べました。

この機会を借りて、私は改めて北京当局に呼びかけます。文明的な方法でこの案件を慎重に処理し、李明哲学さんを早急に、恙なく帰宅させるよう求めます。

「1989年6月3日、1カ月以上にわたりごく少数の者が北京で引き起こした動乱が、反革命暴乱に発展した。北京市街周囲で駐屯守備する戒厳部隊は命を受け、暴乱を平定した。4日未明、戒厳部隊は場所を片付け、同時に天安門広場に進駐し暴乱を平定した」。これが中国大陸の執政当局による1989年の六四事件に対する言い方です。

私たちにはこの言い方で思い浮かべることがあります。かつて、台湾の二二八事件<解説参照>や美麗島事件<同>も、統治当局によって暴乱と言われたのです。

現実は歴史になっていきます。歴史は顧みるすべとなります。六四を改めて見直すことで、中国大陸は全世界を刮目させることができるのです。

注:
できるかぎり忠実に翻訳したが、日本語と華語の個別の単語用法の習慣の差により逐語訳ではかえってニュアンスが違ってくる場合があるので、ごく少数の個所ではあるが、異なる単語に置き換えた部分がある。原語との差異の文責はすべて翻訳者である如月隼人にある。
--------------------—
◆解説◆
【公共知識分子】
社会に提言し、社会の動きについて議論する学術上の基盤と専門的能力を持つ知識人を指す。2004年に中国メディアの「南方人物週刊」が「影響ある中国の公共知識分子50人」という特集記事を設けたことで注目されるようになった。「公共知識分子」の論調は当局批判となる場合が多く、西側諸国の価値観に追従しているなどと批判されることも珍しくない。

【景美人権文化園区】
台湾新北市にある施設。国民党による独裁政治時代には政治犯を収容した。民進党・陳水扁政権時代の2002年、建物を歴史建築として保存することと人権記念のテーマパークとすることが決まった。同施設にはかつての収容された政治犯の状況を示す展示もある。賀教授の発言は「台湾では過去の歴史となった人権弾圧も、中国大陸では現在もつづく現実」の意と理解できる。

【二二八事件】
二・二八事件、2.28事件。1947年に発生した群衆蜂起と国民党当局による強硬な弾圧を指す。第二次世界大戦の敗戦に伴って撤退した日本人に変わり、台湾は大陸から来た国民党が統治することになった。台湾人の多くは当初歓迎したが、国民党の搾取や腐敗、統治能力の不足などで台湾社会と台湾経済が混乱したことで、戦前からの台湾住民(本省人、本島人)の間では不満が高まった。台湾経済の混乱は、国民党が台湾を中国大陸で始まっていた国共内戦の戦費調達ための対象とみなしたことも大きな原因だった。

2月28日に台北市内で警察が、闇たばこを販売していた女性を取り締まった。商品や所持金の没収はやめるよう哀願する女性を、警察官は銃剣の柄で殴打した。女性に同情する群衆が集まり囲まれた警察官が威嚇発表したところ、無関係な台湾人に銃弾が当たり死亡させた。同事件が引き金になり、台湾人が当局の施設や大陸人を襲撃。当局側は軍も投入して無差別銃撃なども交えて弾圧した。

住民と当局の衝突は全部台湾規模に広がった。当局側は多くの住民を連行して裁判なしで処刑した。国民党当局は台湾からの日本色一掃を進めており、日本統治時代に高等教育を受け社会意識の強かった台湾人も、多数が殺害された。

台湾では二二八事件が「反政府暴乱」とされ、同事件について語ることはタブーとなった。しかし1980年代ごろから政府や研究機関が同事件に対する研究を始めた。1995年に李登輝総統(当時)は二二八事件の被害者に謝罪した。李総統は同事件で殺害される恐れもあり身を隠す
などした被害者だったが、総統として当局を代表して謝罪した。同事件の犠牲者数の産出は難しく、最大で3万人とする見方がある。政府としての公式見解は1万8000人-2万8000人。

【美麗島事件】
1979年に、世界人権記念日(12月10日)に雑誌「美麗島」が高雄市で実施したデモと警察の治安部隊が衝突した事件。同事件ではデモ実施の中心的人物だった8人が軍事法廷で起訴され、その他30人以上が一般法廷で起訴された。軍事法廷で裁かれた8人は最高で無期懲役といずれも有罪判決が言い渡された。8人はいずれも、台湾政界で重要な役割を担うことになった。また8人の弁護を務めた陳水扁は中華民国総統も務めた。(編集担当:如月隼人)

【関連】
明日で天安門事件から27年 中国のネット規制、これまで以上に強化
蔡英文総統が日本政府に感謝を表明=WHO総会、中国による「締め出し」問題で