天安門事件から28年、中国は情報統制を「守り」から改めて「攻め」に転換か

1989年に北京市内で、いわゆる「天安門事件」が発生してから、本日(6月4日)はで28年が経過したことになる。中国当局は同事件を「戒厳部隊が反革命暴乱を平定した」との位置づけており異論や疑問を唱えることは、現在もタブー状態だ。中国国内の検索サイトも「人為的」としか思えない検索結果を示しているが、昨年までと比べて変化が生じている。情報統制を「守り」から「攻め」に転じた可能性がある。

世界最大手の検索サイト、グーグルは2010年に中国から撤退した。同社が提供するウェブメールサービスのGメールが中国国内からとみられるハッカー攻撃を受けるなど、当局による検閲の可能性が高いと判断したためとされる。

グーグルは香港にサーバーを移転したと見られている(グーグルは全世界で数十カ所規模のデータセンターを設置しているが安全確保を維持に場所の詳細は非公開)。一方で、中国最大手の検索サイトは百度で、サーバーの設置場所は中国国内とされる。グーグルも中国国内で使用される漢字略字の「簡体字」によるサイトやニュースの検索が可能だが、技術面が原因とは考えにくい検索結果の違いが生じるア売がある。

中国で、1989年6月4日に発生した天安門事件は「六四」などと呼ばれることが多い。そこで4日午前と午後にわたって複数回、百度を使って「六四」を検索してみた。結果トップに掲載されたのは、新華社が2008年3月には票した「事件の真相」という見出しの記事。天安門事件を直接扱ったのではなく、チベット自治区などで発生した反政府屋外活動についを「暴力犯罪事件」と主張し、治安回復に出動した警察などから多くの負傷者が出たなどと主張している。

2番目のサイトは、1976年に発生した第一次天安門事件(四五天安門事件)についての解説記事。同記事を調べたが、「六四」の文字は見当たらなかった。なぜヒットしたかは不明。

3番目は、1989年の天安門事件に参加し、その後も中国国内で民主化運動を続け、投獄された劉暁波氏を扱った記事。劉氏は2010年にノーベル平和賞を受賞したが、現在も服役中だ。

記事は、「劉暁波とその後」との見出しで、劉氏を厳しく批判。天安門事件後に逮捕されて取り調べを受けた際や裁判の際には涙を流して「私は間違っていた」と罪を認めたなどと紹介し、その後も運動を続けたとして「劉暁波は西側のために中国の体制を平和的に転向させる先兵であり、中国人にとっては唾棄すべき存在」などと主張した。

なお、百度のニュース検索機能を用いて調べたところ、中国の不動産販売価格が当初想定の64%に引き下げられていること(六四折)などの記事(12年12月)や、17年になってから発表された六四式軍用拳銃を使った犯罪の記事などがヒットする。

百度のサイト検索結果は、15年までは1989年の天安門事件に関係しない記事がヒットしていた。しかし16年6月3日に試みた時には検索結果が表示されず「申し訳ありません。“六四”に関連するページは見つかりません」との文字が表示された。

技術面、あるいはなんらかの偶然の要素がないとすれば、中国当局がいったんは89年天安門事件にかんして「とにかく見せない」方針をとったものの、改めて自らの主張に沿った情報を浸透させようとしている可能性がある。

なお、中国版ツイッターである新浪微博で「六四」の語で検索すると、2016年6月時点と同様に「関連法と政策により“六四”の検索結果は表示させません」と表示される。

なお、グーグルで「六四」を検索すると、89年天安門事件に関連する内容を掲載するサイトがずらりと並ぶ。

 

写真は筆者が1989年6月5日に北京市内の長安街・北京民族飯店近くで撮影。燃やされたトラックが放置され、周囲はレンガの破片などが散乱していた。その後、民族飯店前に20人ほどからなる解放軍の一隊とテレビ局の撮影スタッフが現れた。解放軍兵士らが周辺の瓦礫を取り除くなどの作業を始めると、テレビのスタッフが撮影を開始した。5分ほどすると、スタッフの1人が解放軍側に「写し終えました」と言った。すると隊長らしい人物が兵士に引き上げを命じた。彼らのいたわずかな場所だけが、瓦礫のない状態になった。(編集担当:如月隼人)

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