香港の天安門事件の犠牲者追悼集会、参加者11万人で昨年より大幅減 若者に「あれは別の国の出来事」

香港では4日夜、ビクトリア公園で1989年6月4日に北京で発生した、いわゆる「天安門事件」の犠牲者を追悼し、中国の民主化を求める集会が行われた。事件翌年の1990年から続いている行事だが、主催側発表の参加者は2016年の12万5000人から1万5000人減少の11万人だった。香港では若者を中心に、中国大陸部を「別の国」と考える意識が強まっていることが背景にある。

1990年の参加者は15万人だったが、その後は減少傾向が続き1998年には4万人にとどまった。参加者はその後も5万人前後であることが多かったが2009年には再び15万に急増。会場に入れなかった人を含めると20万人が催しに足を運んだとされる。

人数が増えた原因は、事件20周年だったことと、曽蔭権行政長官(当時)が5月に議会で「事件発生後に国家(中国)は誇るべき発展をし、香港に繁栄と安定をもたらした」などと述べるなど、重要人物による中国当局を理解したり、民主化運動や運動家批判の発言が相次いだことに多くの市民が反発したことが原因だったとされる。

その後、2012年と14年には18万人に達するなど、参加人数は高い水準で推移したが、15年には13万5000人、16年には12万5000人と減少傾向が鮮明になった。

きっかけは、2014年に発生した反政府デモ(雨傘革命)が成果を上げられなかったことで、香港の若者の間に「香港は中国とは別の存在」と考える意識が強まったことだった。香港の独立を求める声も若者間では普遍的になった。

大学学生会連合である香港専上学聯会(学聯)は15年、多くの学生会の離反を受け、学聯としての参加を見合わせた。16年には多くの大学の学生会が追悼集会とは別に天安門事件についての討論会を行った。17年にも多くの大学の学生会が参加を見合わせた。キリスト教・パブテスト協会(中国語で「浸会」)系の大学である浸会大学の学生会は「六四事件(天安門事件)は隣国の出来事であり、韓国で発生した光州事件(民主化要求運動を軍などが鎮圧。双方に大量の死傷者)と同様に、香港人が特別に記念するには値しない」と表明した。
--------------------—
◆解説◆
中国当局は現在も、天安門事件について「反革命暴乱を戒厳部隊が鎮圧した」との見解を取り続けている。香港で毎年行われてきた天安門事件の犠牲者追悼と民主化要求の活動は、中国当局にとっては「言論の高度な自由」を認めている以上、強引な取り締まりができないものの「きわめて嫌な状況」だったはずだ。さらに、中国大陸で共感が広まることは絶対に容認できなかった。

香港で6月4日の記念活動が低調になってきたことは、人数だけを見れば「事件を記憶の外に置いてしまいたい」という中国当局の従来の思惑に合致しているが、その原因は皮肉なことに、「香港と中国は別の国」という、中国当局が香港人に求める「愛国心」とは完全に逆行する香港人の意識変化にもとづくものであり、中国当局の立場からすれば実に憂慮すべき推移ということになる。(編集担当:如月隼人)

【関連】
天安門事件、発生から28年 台湾・蔡英文総統がFBで中国当局を批判(全文翻訳・解説)
香港で「天安門事件」に「あれは中国での出来事、香港は無関係」の考えも強まる