「周恩来首相の専用機が破壊された」はフェイクニュース・・・証言「建国初期の指導者は、とても倹約し

中国メディアの長江網などは10日、安徽省合肥市郊外に放置されていたかつての周恩来首相の専用機の機体一部が取り壊されたとするニュースは事実に反すると論じる記事を発表した。周首相が同機を利用したことがあるのは事実だが、専用機ではなかったという。記事は、中華人民共和国初期の指導者は、飛行機利用についてもとても倹約していたとの証言も紹介した。

問題の飛行機は、ホーカー・シドレー・トライデント型ジェット旅客機(トライデント)。英国のホーカー・シドレーが製造した3発のジェット旅客機だ。同機は1971年、毛沢東暗殺に失敗した林彪がソ連に亡命ために使ったが、途中でモンゴル人民共和国領内に墜落したことでも知られている(強制離陸時に銃撃されたなど諸説あり。搭乗者は全員死亡)。

「周恩来首相の専用機」とされた機体は、長年にわたり広東省珠海市内の広場に展示されていた。当初は中国民航の標準塗装のままだったが、後に銀行の広告が加えられたりした。その後、広場は駐車場として利用されることになり同機の展示ができなくなり、2000年に安徽省合肥市の実業家が買い取ったとされる。

 

その後の経緯には明らかでない部分があるが、同機は合肥市郊外に置かれることになった。手入れもされないままだったが、最近になり同機の主翼や尾翼が取り外されていることが注目され、「周恩来首相の専用機なのだから保存すべき」との声も出た。

長江網掲載の記事は、合肥市在住の元空軍関係者の証言を紹介。1968年から空軍の廬山飛行場(江西省)で軍用機整備の仕事に従事したことがあり、合肥市郊外に放置されている機と同じ「50050」の機体番号のトライデント機を見たこともある人物という。

 

同人物は、同機が「周恩来首相の専用機」だったことはありえないと証言。なぜなら、当時の中国は外貨が不足しており、外国の航空機購入も非常に慎重に行われていたからだ。したがって、国家指導者であっても個人専用機は存在しなかった。国家指導者がどの機を利用するかは、安全確保の必要から最高度の機密事項だったという。

また、毛沢東主席の搭乗機などの機長を務めた経験のある尹淦庭氏によると、中華人民共和国建国初期の指導者に、特定の個人だけが利用する機体の考え方はなかった。共用の「要人輸送専用機」はあったが、利用権利を持つ国家指導者らも使用にあたっては「相当に倹約した。ケチ臭いと思えることすらあった」ほどであり「現在とは考え方が全く違っていた」という。

淮安周恩来記念館の関係者も、周恩来首相が機体番号「50050」のトライデント機を利用したことはあったが、同機は周首相の専用機ではなかったことが、関係者に問い合わせて判明したと説明した。
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◆解説◆
上記記事は、周恩来首相が航空機を利用して北京から長沙に出かけたエピソードも紹介している。1974年12月のことで、北京に帰還した際には周首相は医療スタッフが止めるにも関わらず、乗務員全員に握手をして、笑顔で「ありがとう」とねぎらったという。周首相は重篤な膀胱癌を患い入院して執務していたが、江青ら「文革四人組」が政府首脳に昇格することを阻止するため、長沙に滞在していた毛沢東に交渉に行ったとされる。

上記記事は、「周恩来専用機」についての誤解を解き、読者に改めて事実を伝える方針で書かれている。しかし、中華人民共和国建国当初からの指導者の「浪費を戒める気風」や、病身を押して国事に奔走した周恩来首相や、周首相のスタッフに対する気遣いを強調することで、読者に対して「今の指導者はどうなのだ」との疑問を暗示する構成にもなっている。(編集担当:如月隼人)

 

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