終戦直後に米軍機が台湾で墜落、救助に出動した現地住民と日本人も遭難・・・台湾の退役軍人らが慰霊活

第二次世界大戦終戦直後の1945年9月10日、台風に遭遇した米軍機B-24が台湾東部の山間部に墜落し、搭乗者25人全員が死亡した。当時はまだ日本の統治機構のひとつだった台東県当局は直ちに現地住民と日本人による救助隊を組織して現地山間部に派遣。しかし台風に見舞われ26人が死亡した。台湾の空軍退役将校である劉瑞成さんらはこのほど、慰霊と調査のために現地を訪れた。台湾メディアの中央通訊社が報じた。

B-24は日本軍の捕虜収容所から解放されたばかりの米国軍人11人、オランダ軍人4人、オーストラリア軍人5人の計20人を沖縄からマニラまで輸送する途中だった。飛行中に台風に遭遇して機体が破損し、台湾・台東県の山間部に墜落した。

遭難を知った台東県当局はただちに空所帯を組織。二手に分かれて89人が山に入った。墜落現場に到着したのは9月30日。ところが標高3000メートルクラスの山間部で台風に見舞われ、出動したアミ族12人など現地住民、日本人憲兵7人、警察官2人の計26人が死亡した。米軍機墜落と救助隊の二重遭難は「三叉山事件」などと呼ばれている。

空軍退役少将である劉瑞成さんらからなる5人のグループはこのほど、現地を行い慰霊とB-24の残骸収集を行った。劉さんは米軍機についての知識も豊富で、登山愛好者だ。最近になり「三叉山事件」のことを知った。現地訪問には、多くの台湾人に歴史上の事実として知っておいてほしいとの気持ちがあった。

劉さんらは入山前に米軍機の搭乗者名簿を入手しており、現地では英語による祈祷文をささげ、25人の氏名を書いた紙を燃やすことで、天国で安息できるよう祈った。

また、二次災害で犠牲になった26人についても劉さんは、「26の家庭の大黒柱だったろう。しかし、亡くなってから、思い出す人はほとんどいない。これでは彼らに申し訳ないと思う」と話した。

劉さんらは21日までの3日間にわたり現地を調査し、B-24の残骸と見られる金属片を多く発見することができた。

劉さんは政府に対して、「事故現場に記念碑か記念小屋を建設してほしい」と希望している。犠牲者に敬意を示すためであり、「私たちが最低限、行うべきことだ」と信じているからだ。

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◆解説◆
台湾島の地形には、山間部の険しさという特徴がある。主要な山脈は島の中央部より東よりに南北に走っているので、島西側には平地が比較的多く、東部は山がちな地形が海近くまで迫っている。

台湾の地形険しさは、近くにある沖縄が比較的なだらかであることに比べると、極めて特徴的との言い方もある。また、台湾の地形が「立体的」であることは、国土面積が約3万6200平方キロメートルと日本の10分の1以下であるにもかかわらず、最高峰の玉山(ユーシャン)が標高3952メートルと、富士山の標高3776メートルよりも高いことにもあらわれている。(編集担当:如月隼人)

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