「崖っぷちの村」で希望の暮らしを享受する愚公の子ら(3/6)貧しい青年の愛を受け入れる=郭亮村

王春蓮さんは3歳の時に父を亡くした。生まれ育った郭亮村は200-300メートルもの崖の上にあり、外界との交通が困難を極めた。春蓮さんの父は村と崖下を結ぶ道路の建設工事を行う中核的人物だったが、転落事故で死亡した。春蓮さんは祖父母や伯父に育てられ、村を出て働くことになった。

--------------------—
20歳の時だった。春節(旧正月)を一族で過ごそうと、春蓮さんは帰省した。その時には雪が積もっていて、若い男性数人が雪合戦をしていた。そのうちの1人がふざけて、春蓮さんに雪玉を投げてきた。

春蓮さんはなぜか、その若者が気になった。どうしても思い出してしまう。春蓮さんは心配になった。大都会ならともかく、春蓮さんが住むような田舎では、若い男女の自由恋愛がまだ白眼視されていた。雪を投げてきた若者を好ましく思う気持ちが高まった。春蓮さんは「そんな気持ちを持っちゃいけない」と自分自身に言い聞かせた。

春蓮さんに雪玉を投げた若者は、道づくりを決めた申明信書記の三男、申常青さんだった。ただし、常青さんが11歳だった1984年、申書記は他界していた。実は、常青さんは父親が亡くなった直後に春蓮さんを見て、その時以来、春蓮さんが気になっていた。

11歳の常青さんが肥料を荷車に載せて運んでいる時、ジャガイモを植えている春蓮さんを見た。ジャガイモに「大きく、大きくなってね」と呼びかけながら植えていたという。春蓮さんが早く父親を亡くしたことは知っていた。自分も父親を亡くした。「父親がいなくなった子はつらいなあ」と、身に染みて思ったという。

常青さんも、もう少し大きくなってから村の外に出て働くことになった。春節の際には村に戻った。多くの若者と一緒に、まだ多くなかった白黒テレビのある家に行って番組を見たこともあった。室内には常青さんの姿もあった。春蓮さんは意識していなかったが、雑談の折に春蓮さんが果物を売った経験を話すのを聞いて、常青さんは「しっかりした女性だ」と感心したという。

数年してからの雪合戦がきっかけで再開した常青さんは、春蓮さんに愛していると告白した。そして結婚してほしいといった。「ミシンが壊れたらボクが修理する。懐中電灯の電池が切れたら、ボクが取り換えてあげる」といった。あまりにも即物的なようだが、暮らしていく上で苦労はさせないという常青さんなりの表現だった。

最初はとまどっていた春蓮さんだったが、とうとう常青さんの気持ちを受け入れた。今度は伯父一家が反対した。常青さんがあまりにも貧乏だというのだ。すると、常青さんの申し出に対して初めはためらっていたはずの春蓮さんが「どうしても、あの人と一緒になりたい」と言い出した。春蓮さんは後に引かない。伯父らもとうとう折れて、2人の結婚を認めることにした。(編集担当:如月隼人)

【関連】
「崖っぷちの村」で希望の暮らしを享受する愚公の子ら(2/6)=河南省・郭亮村

「崖っぷちの村」で希望の暮らしを享受する愚公の子ら(1/6)=河南省・郭亮村


社会

Posted by 如月隼人