「崖っぷちの村」で希望の暮らしを享受する愚公の子ら(6/6)夫婦喧嘩で夫が耐えるワケ=郭亮村

やっとつかんだ幸せな生活。夫婦の仲は円満だ。とはいえ、喧嘩をすることはある。そんな時、夫の常青さんはグッと耐えることにしている。自分は幼いころから苦労を重ねてが、妻はなおさら苦労した。それを思うと、妻に対する言い分があったとしても「今は自分が耐え忍ぼう」と思えるのだという。
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常青さん一家に会う観光客は父親の話や常青さんと春蓮さんの物語を聞きたがる。そして皆が、常青さんらがたどった道に感動する。しかし常青さんは「結婚してから、そんなに大変なことをしているとは思いませんでした。ただ、私はいつも誠実であり、花蓮はしっかり者だとは思っています」と説明した。

常青さんは道路が開通した日のことをよく覚えている。4歳の時だった。まずふもとから、トラックがやって来た。生まれて初めて見る自動車だった。トラックは銅鑼や太鼓を積んできた。祝いの派手な音楽を鳴らした。荷台には、祝いのための伝統的な歌芝居を演じるための舞台もしつらえられていた。

祝賀式典が終わってから、常青さんはトラックの荷台に上ろうとした。その時トラックが発進し、常青さんはは振り落とされて顔を打ち、前歯を傷つけてしまった。

子どもだった常青さんにも、道路ができた直後から村人の生活は大きく変化したことが分かった。村には水道がないので、大きな水がめは生活必需品だった。破損してしまうと、ふもとからはしごを通じて「命がけ」で運んでくる必要があった。道路ができた後には、トラックが水がめを積んで村の各世帯に配ったことがあったという。

道路建設の総責任者だったのは、父親の申明信書記だった。幼かった常青さんが、父親を心から尊敬していたことは想像に難くない。ただ、父親が亡くなってからの常青さんは、苦労に苦労を重ねることになった。もちろん苦労したのは春蓮さんも同様だ。

ようやく幸せな家庭を築き、経済面でも順調な常青さんと春蓮さんだが、夫婦喧嘩をすることもある。「しっかり者」の花蓮さんが、常青さんを厳しく叱責することが多い。そんなとき常青さんはいつも「花蓮は私よりずっと早い3歳の時に父親を失った。だから、私よりもずっと多くつらい目にあった。だから今回は、私がつらい目を引き受けよう」と思って我慢することにしているという。(編集担当:如月隼人)

 

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Posted by 如月隼人