雑記:台湾の不思議なおじさん、ウエットすぎる感情はやなり彼らの長所と理解すべきか

エレベーターに乗ったのですよ。まあ、中ぐらいの大きさの箱。5、6人ぐらいだったかな。私は割と、最後の方に乗った。

行く階を指示するボタンは、ドアの右側についている。私は少々、ボタンから離れた場所に立っていた。うむ、自分が行く7階のボタンを押さねばならぬ。間に立つ人を押しのけて7階のボタンをプッシュするか。それとも、ボタンの前に立っている人にお願いするか。

日本人って、こういう状況でボタンの前に立っていたら、少し遠い人に「何階ですか?」と尋ねて行き先階のボタンを押すことって、珍しくありませんよね。ボタンから離れた場所に立った人が「×階、お願いします」と言うこともある。

いずれにしろ、普通の光景です。私がそのエレベーターに乗った時には、ボタンの前に立っていたおじさんが、声をかけてくれた。「何階ですか?」と。

で、私は「7階、お願いします」と言った。事態は平穏に推移するはずだった。ところが、そのおじさん、4階のボタンを押した。あれ? 聞き違えたみたいだ。で、改めて「7階をお願いします」と伝えた。

あれ、あれ、あれ? また、違う階のボタンを押す。 見かねたみたいで、おじさんのすぐそばに立っていた女の人が、7階のボタンを押してくれました。

で、そのおじさんは、「どうも、すみません」と言った。その言葉を聞いて、「あ、日本人ではない」と気づいた。同時に「中華圏。少なくとも北京ではない。中国北部ではない。上海でもない。広東でもないだろう。香港でもない。この日本語発音で可能性が高いのは、台湾だ」と思った。

中国語に絡む仕事をしてきた関係で、外国人の話す言葉には、注意しています。特に、中華系を思われる場合です。彼ら/彼女らの話す日本語にも注意しています。中国語といっても、地方によってまるで異なる“外国語”なのですから、彼らの話す日本語にも特徴が出てくる。

そう思って、おじさんに中国語で「ありがとう。あなたはどこの人ですか?」と尋ねた。大当たり。台湾の人でありました。

おじさんも私の、そのビルにある会社に用事があったのですが、エレベーターを降りて、しばしの会話を楽しんだのでありました(私がおじさんの行き先の9回までついていった)。

でもなあ。おじさんの日本語は、本当にカタコト。ありていに言って、ほとんど通じないレベル。言っちゃ悪いのですが、なぜ、その程度の日本語で「何階に行きますか?」なんて親切心を発揮したのか。

まずは、日本人の習慣と理解して、従わねばならないと思ったのかな。ただ、大陸人でこういう行動をする人は多くないと思う。どちらかと言えば、「見知らぬ他人との接触はトラブルの元」との発想ですからね。「不管閑事(ブーグァン・シエンシー=関係ないことにはタッチしない)」との考えが強い。

台湾人の場合、気持ちがウェットだと言います。他人に対する感情移入が強いと言います。このあたり、台湾系の人から「香港人とも違う」と説明を受けたと言います。

例として出されたのが、親しい友人(恋人と考えてもよい)を空港に送りに行った場合。もう当分は会えない。本当に名残惜しい。友人が出国審査などをする場所に行くためにゲートの中に入った。こちらは後ろ姿を見送る。友人はときおりこちらを振り返って手を振る。友人はいよいよドアの向こうに姿を消す。最後に振り向いて手を振ってくれた。こちらも手振り返す。

香港人と台湾人の違いはここから。友人の姿が見えなくなると、香港人はただちに回れ右。引き上げます。いくら名残惜しくても、友人の姿はもう見えない。ここにいても無意味、という合理的判断です。

ところが台湾人は、かなり長い時間そこにとどまる傾向があるといいます。友人の姿はもう見えないのですが、名残惜しくてなんとなく立ち去るのがつらい。というのです。

この説明がどこまで一般的かは分かりません。ただ、台湾人に多いウェットな気質がよくわかる説明だと思います。たぶんエレベーターのおじさんも、「あ、この人、困っているかも」と思って、片言の日本語を繰り出したのでしょう。台湾人に多い、ちょっとウェットな気質が背景にあったと言えるかもしれない。

まあ、外観では日本人とあまり違いのない外国人が、通じない日本語を連発したのでは、こちらがズッコケることはあります。本人だって、無用の面倒を抱え込むことはあるかもしれない。でも、自分の状況がどうであれ、困っているような人がいたら手を差し伸べたくなるウェットな感覚は、やはり長所と言うべきなのだろうなと思ったのでありました。

【関連】
台湾の李登輝元総統、頼首相と会談・・・元気な姿を見せ、力強く「得難い人材」などと称賛

<コラム>カズオ・イシグロ氏と日本文学を豊かにした台湾出身作家・温又柔さんの共通点