中国共産党、党最高指導部の中央政治局常務委員7人を決定…習近平総書記の腹心、陳敏爾氏は選に漏れる

5年に1度の全国代表大会(党大会)を24日に終えた中国共産党は25日午前11時45分(日本時間同日午後0時45分)、北京市内の人民大会堂・東大庁で次の2022年党大会までの最高執行部となる中央政治局常務委員会のメンバーを発表した。

 

習近平総書記(国家主席)の古くからの腹心で、次期総書記の有力候補と見られていた陳敏爾氏は常務委員会入りを逃した。胡錦濤前総書記(前国家主席)の系列で、一時は「ポスト習近平」の担い手になる可能性が高いと見られていた胡春華氏も、常務委員になれなかった。

新たに就任した中央政治局常務委員の略歴は以下の通り。氏名に続く( )内は現在の主要な役職。

【栗戦書(中国共産党中央弁公庁主任)】

1950年生まれ。河北省出身。1975年に入党。1980年代前半には河北省・無極県の党委員会書記を務め、隣接する正定県書記だった習近平総書記を親交を深め、上司との関係がうまくいかないことを悩む習総書記に対して先輩としてアドバイスをしたこともあったとされる。2007年には黒龍江省省長、10年には貴州省党委員会書記に就任。党中央弁公庁主任に就任したのは2012年8月。同年11月からは共産党中央書記処書記を兼任。党中央弁公庁主任は党最高首脳の行動を管理する要職。共産党中央書記処書記も党決定をつかさどる要職。02-12年、党中央委員会候補委員。12-17年、党中央政治局委員(非常務)。

【汪洋(副首相)】

1955年生まれ。安徽省出身。75年8月入党。早く父を失い家が貧困だったため、72年には高校を卒業しないまま17歳で食品工場の労働者になる。79年には中国共産党中央党校理論宣伝幹部班に抜擢され政治経済学を学習。81年から83年にかけては共青団安徽省宿県の党委副書記、共青団省委宣伝部長、共青団省委副書記へと昇進。84年からは銅陵市市長、省計画委員会主任などを歴任。93年には副省長就任。99年からは国家発展計画委員会副主任(首相は朱鎔基)、03年からは国務院副秘書長など(首相は温家宝)。05年から党重慶市委員会書記、07年から党広東省委員会書記、13年からは副首相。02-07年、党中央委員会候補委員。07-17年、党中央政治局委員(非常務)。

 

【王滬寧(党中央政策研究室主任)】

1955年生まれ。上海市出身(本籍は山東省)。1980年代には政治哲学者として頭角を現す。中国共産党には84年4月に入党。95年に党中央政策研究室政治グループ長、1998年4月には研究室副主任となり、2002年から主任を務めている。1989年の天安門事件を契機に就任してから2002年11月まで総書記に就任した江沢民政権下でも、その次に12年11月まで総書記に在職した胡錦涛政権下でも、政権のブレーンとして重用された。習近平政権でも重用されていた。統一され安定した政治的リーダーシップともに、党内民主も重視するとされる。02-12年、党中央委員会委員。12-17年、党中央政治局委員(非常務)。

 

【趙楽際(中国共産党中央組織部長)】

1957年生まれ。青海省出身。75年7月入党。毛沢東が推奨した一般労働者や農民、兵士に高等教育の機会を優先的に与える工農兵大学生として北京大学に入学。卒業後は故郷の青海省に戻り同省政府機関や商業学校、企業の党組織に勤務。その後、青海省で地方政府に勤務し、1999年には当時最年少の42歳で省長に就任。03年には党青海省委員会の書記に就任。さらに党陝西省委員会書記を務めた後、2012年11月には党中央書記処書記と中央組織部部長にも就任した。02-12年、党中央委員会候補委員。12-17年、党中央政治局委員(非常務)。

【韓正(党上海市委員会書記)】

1954年生まれ。上海市出身。79年5月入党。80年代には上海市内の企業などで勤務。共産党の活動にも積極的に参加し、88年には上海大中華ゴム工場の党委員会書記に就任。91年から92年にかけては共産主義青年団(共青団)上海市委員会書記。その後、上海市政府や党上海市委員会における地位を次第に地位を向上させる。党上海市委員会の陳良宇書記が汚職問題で失脚したことを受け06年9月から07年3月まで同委代理書記などを務める。後任書記は習近平氏で、韓氏は11年まで副書記と市長を務めた。12年には党同市委員会書記。12年12月までは市長を兼任した。02-12年、党中央委員会委員。12-17年、党中央政治局委員(非常務)。
 

(編集担当:如月隼人)

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