雑記:中国人が尖閣諸島を「自国領だ」と思ってしまう、もう1つの理由

日本人の多くは、中国政府だけでなく中国人がまるで一丸となったように尖閣諸島を自国領と主張することに違和感を覚えるだろう。
 
まず、中国当局の説明が奏功していることを挙げることができる。中国は当初、歴史的な文献を持ち出して、尖閣諸島は古来、自国領だったと主張した。しかし2010年に発生した、中国漁船が海上保安庁の巡視船への体当たりを行う事件が発生したころからは、「釣魚島(尖閣諸島の中国側通称)は日清戦争の結果、日本が奪った。日本は第二次世界大戦の終結にあたって台湾の放棄を承諾した。したがって釣魚島は中国に返還されねばならない」と強調するようになった。
 
中国人は現在も、「清朝末期から中華人民共和国成立まで、中国は諸外国に“いじめられ”、多くの領土もむしりとられた」とする被害者意識を相当に強く持つ。したがって、「釣魚島は日本に奪われた自国領だ」との言い方には、安直に賛同してしまいやすいことになる。
 
中国側の「釣魚島は台湾と共に日本に奪われた」とする主張には相当に無理がある。例えば、日清戦争の講和条約である下関条約には台湾関連の割譲について、その対象を「台湾全島およびその附属諸島嶼」(第2条2)、「澎湖列島(中略)東経119度ないし120度及び北緯23度ないし24度の間にある諸島嶼」(第2条3)と定めている。
 
澎湖諸島は台湾島の西方約50キロメートルにある。一方で尖閣諸島(魚釣島)から台湾島までの距離は170キロメートル程度もある。中国側の「尖閣諸島は台湾の一部」との主張では、尖閣諸島は下関条約第2条2に含まれる「台湾全島の附属諸島嶼」とのことになるが、台湾島に近い澎湖列島が台湾島とは別の条文で扱われ、はるかに遠い尖閣諸島を台湾島の「附属」とする理屈は、やはり不自然だ。
 
ちなみに、中国側も日本領と認める与那国島と魚釣島の距離は150キロメートル、石垣島と魚釣島の距離は170キロメートルで、台湾島・魚釣島の距離よりも短い。
さて、中国人が尖閣島を自国領と思い込みやすい理由をもうひとつ挙げておこう。それは地図の問題だ。まず、日本の外務省がホームページで使用している地図を紹介しよう。
中国大陸南東部、台湾、魚釣島、石垣島、与那国島、沖縄本島を紹介する左側の地図を見れば、魚釣島は日本領である島に近いことがよく分かる。もう1枚の地図は日本の本州がほぼ中央にあるが、尖閣諸島が日本の領土の端にあることが分かる。
 
ところが中国では、さらに大縮尺で日本列島を端によせた地図が用いられることが多い。
この地図を見れば、中国と台湾、そして尖閣諸島の一体だと強く感じやすい。このような地図をよく目にする中国人は、「日本は理不尽にも尖閣諸島を実効支配しつづけている」と考えやすくなるわけだ。
 
ちなみに、日本の第二次世界大戦敗北にともない、沖縄など南西諸島は米国の施政下に置かれることになったが、1950年には琉球大学の調査団が尖閣諸島を訪れ生態調査などを行っている。また、琉球列島米国民政府が52年に発表した「琉球政府章典」が指定する「琉球政府の政治的及び地理的管轄区域」も、尖閣諸島の場所が含まれている。
 
中華民国(台湾)政府が尖閣諸島の領有権を正式に主張しはじめたのは1971年6月11日だった。中華人民共和国が尖閣諸島の領有権を主張したのは、約半年後の同年12月30日だった。
 
それよりしばらく前から、尖閣諸島海域に石油資源のある可能性が指摘されるようになり、中国は石油ほしさに「尖閣諸島奪取」を目指すようになったとの言い方がある。ただ、中国にとって尖閣諸島の領有権主張は、「政権の正統性」を示す意味合いが極めて大きかったと考えられる。
 
共産党政権は「かつて帝国主義により奪われた領土を取り戻し、自主独立の中国を回復させた」ことをもって、「中華民国は消滅し、中華人民共和国政府が中国唯一の政府になった」と主張しているからだ。中華民国(台湾)が尖閣諸島を自国領と主張すれば、自らも「自国領として取り戻す」ことを政治上の目的にせざるをえないことになる。
 
日中国交正常化は、台湾と中国が尖閣諸島の領有権を主張しはじめた翌年の1972年だった。考えてみれば台湾は、日中間の対立の原因になる尖閣諸島という「地雷」を仕掛けて置いたことになる。