ついに、ヤバい病気になってしまったかも

最近どうも、言葉とか物事に対する反応がおかしくなってきました。そうだなあ、説明しないと分かりづらいかもしれない。


しばらく前に用事で出かけることにあって、東京から小田原に向って伸びている小田急線に乗りました。約1時間。始発の新宿駅で乗ったので、座ることができた。


暖かくてぼおっとしていました。突然脳裏に浮かんできたことがあります。「織田信長は息子に妙な名前をつけたそうだ。たしか、『休太郎』というのもいたんじゃないか」――。


今、調べたんですけど、そんな名の息子はいない。「妙な名前をつけた」というのは間違いない。「奇妙」、「茶筅」、「次」、「人」、「良好」なんて名が並んでいる。いやはや、“独創的”ですな。信長らしい。


それはともかく、電車の中で「いや、『休太郎』なんていう名はなかったはずだぞ」と考えなおし、「なんでそんなことを思いついたのか」と不思議に思いました。しばらくして分かった。


「織田家の休太郎」なんてことを、無意識に考え出していたらしい。小田急に乗ったから、「小田急→オバQ→おばけのQ太郎→織田家の休太郎」なんて風に、私の脳みそは本人も知らないうちにダジャレを展開したらしい。


まあ、語呂合わせを考えるのは仕事の一部でもありますしね。それはよいのですが、途中経過が本人にも分からず、最終結果だけを思いつくというのは、こりゃ、病気だ。ヤバい段階になったのかもしれない。


そういえば、言葉については、常識的かつ普通の理解をする前に、妙な解釈をしている場合も増えた。


少し前にJRを利用した際、駅のアナウンスで「2番線の電車は普通、高崎行きです」と言っていたのを聞いて「ん? いい加減なことを言うなあ。きちんと調べずに放送しているのか」と思ってしまった。


「快速でも急行でもない普通電車の高崎行き」と理解できたのは、ちょいとばかり考えた後でした。


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「普通、高崎行き」の話でやめておこうと思ったんだけど、実は、もうひとつあった。世の中の深刻な事態について「あまりにも不謹慎」とお叱りを受けそうですけど、事実なんだから仕方ないよなあ。


3月下旬ごろから、なぜかコメディアンの萩本欽一さんとか、亡くなった相方の坂上二郎さんのことを、しばしば思い出すことになった。そのうち、脳裏に「きんちゃんのドンと行ってみよう」とか、二郎さんの「飛びます飛びます」のギャグとかが、繰り返し出てくるようになった。


恐らく「あのこと」のニュースを扱うようになって、頭の中で無意識に「タイトル生成回路」が動きだしたんでしょうな。そんなタイトル、使えるわけがない。


「あのこと」が何かとは、あまりにもヤバいのでここでも書けませんけど。