実は私、テクニック重視の“メンクイ”なのだ

という見出しで、いろいろとツッコミを入れようと、あれやこれや考えている“一部”の皆さんの様子が見えるようだ。


ざーんねんでした。別にキレイなお姉さんが大好きという話をするのではありません。いや、キレイなお姉さんは大好きですよ。でも、今回の話は、そういうことではない。「麺食い」の話です。誤解なきように。


とにかく麺が好きだなあ。朝食なんかでも、麺が最高です。といっても、私は朝起きてから1時間以上は、どうにも食欲がわかない。そこで最近では、うどんかそばを前日の夜にゆで、タッパに入れて冷蔵庫に入れてしまっておく。朝にかばんに入れて持って行き、仕事場についてから大急ぎで食べたりする。


つゆはあらかじめ作っておいて、仕事場の冷蔵庫に入れておく。「ぶっかけ」状にして、むさぼり食います。前の日の晩にゆでたので、麺のコシはなくなっていますが、それでもよしとする。


麺食いと言っても、麺を打つところまではやれない。だから、最大の関心事は「ゆで」になります。基本中の基本として、たっぷりの湯を沸かす。食べるのは主に乾麺ということになりますが、袋に書いている湯の量の2倍程度は沸かします。完全に沸騰させる。


そして、麺を投入。強火ですから、放置するとあっという間に吹きこぼれる。ガスの火が消えたりしたのでは、なんのために大量の湯を沸かしたかわからなくなる。ガス台に張りついて、火の大きさを調整します。


さて、このあたりからさらに問題なのですが、以前は「吹きこぼれない程度に、できるだけ強い火」でゆでるようにしていた。実際には「中火」か「弱めの中火」になります。麺が湯の中で踊っている。それでよしとしていました。


しばらく前から、この方式を変えた。「1本、1本が湯の中でこすれあっているのは、いかがなものか」と考えたからです。麺にとっても、お肌によくなさそうだ。そういうことで、麺をゆでるテクニックを見直すことにしました。


要するに、麺を投入してからの火加減の問題です。常温の麺を投入するのだから、湯の温度は下がる。沸騰がやむ。あらためて温度を上げてやらねばならないので、強火を続行。沸騰状態にもどったら、最も弱火にしてやる。麺は、鍋の中でうずくまっています。


さらに、このあたりが一工夫なのですが、麺の中心部の温度上昇との関係が出てくる。<鍋に麺を投入>→<強火での加熱続行>→<再沸騰>という状態になった時、麺の中心部の温度も完全に上昇しているわけではない。だから、その時点で弱火にしてしまうと、湯の温度が再び低下してしまう。


どうも、こうなってしまうと、麺と麺がくっつきやすいようです。そこで、<再沸騰>してから火を弱める際には、様子を見ながら徐々に火を絞る。実際には、<火を絞りすぎて、鍋の中がおとなしくなりすぎた>→<火をちょっと強めに>→<ふきこぼれそうになった。火を絞る>なんて操作を、2、3回繰り返します。じらしながらも、最終的には最も弱火にする。鍋の底から立つ泡で、麺はわずかに震えております。


よくできた素麺なんかでは、火加減の調整をしているうちに、すぐゆで上がる。うどんやそばだったら、最も弱火にしてから、しばし放置プレイとなります。おっと、完全な放置はよくありません。時おり、「今、どんな具合だい?」なんて声をかけながら、箸かなんかで軽く動かして、麺と麺がくっついていないか確認してください。


さあて、麺がゆで上がった。その後の食べ方は、かなりラフです。一時期凝ったのが、うどんでもそばでも、醤油をかけるだけという食べ方。だしも何にもないのですが、それだからこそ、麺そのものを楽しむことができる。日本食は「だしの文化」という側面もあるのですが、「あまりにもだしにたよりすぎでは」と、ちょっと考えなおすことにもなります。


その他、スパゲッティーなんかも大好きです。中華もいいなあ。刀削麺なんていうのも、捨てがたい。家ではあまりやらないけど、韓国あるいは盛岡系の冷麺も大好きです。要するに、麺さえあれば幸せ。私の「麺食い」人生は、現在進行中です。