感動話なのか、ワケの分からぬ話なのか

これまた、大昔の話。中国に留学した当初、語学を学ぶたびに、北京語言学院というところにいました。中国の大学は、寮が完備しています。今は規則が緩和されたようですが、当時の留学生は、学内の寮に住むことが義務づけられていました。


ある日のことでした。寮の外がなにやら騒がしい。明らかに外国人の声で「ニッポン バンザーイ!」なんで連呼している。いったい、何の騒ぎだ。


見ると、寮のそばの通り道に白人数人が集まっていた。なぜか、日本酒の一升瓶を何本も置いている。そして、日本人留学生が通りかかるたびに、「飲め!」と勧めています。見境いなし。ワケがわからず、避けて通る人もいた。

しかしながら、おかまいなし。断る人には無理強いせず、酒を受ける人だけにニコニコしてふるまっている。


例によって、好奇心のかたまりになって駆けつけた。聞いてみると、ポーランド人。ふーむ。でも、なぜポーランド人が「ニッポン バンザイ!」なのか。さらに事情を聞いて見ました。


双方とも片言の中国語なのである程度しか理解できませんでした。なんでも、日本が1920年、シベリアの収容所にいたポーランド人を救出して、本国まで送り届けた。その記念日と言うことでした。


後で調べたら、帝政ロシアの末期にポーランド独立運動をした人たちがシベリア送りになった。ソ連が成立した後も、放置されていた。10万人以上いたらしいんですけど、飢えや寒さで亡くなる人も多かった。


シベリア出兵をしていた日本は、そのうちの孤児700人以上をを引き取り、ポーランド本国に送り返したそうです。


知らなかったなあ。まあ、自分たちが他人に施した恩義を忘れるというのは、それほど非難されることでもない。いつまでも「あの時は、ああしてやっただろう」なんて言っていたのでは、せっかくの善意が下卑てしまう。忘れてもよいのは、あくまでも「恩義」の場合ですけどね。


でも、何十年たっても覚えていていただけたというのは、嬉しいことです。ポーランド人留学生が「飲め!」というので、私も昼間からご相伴にあずかることにした。


考えてみれば、ポーランド人留学生のほとんどは国費留学生だったはずだ。失礼を承知で言えば、それほど裕福な国ではないから「小遣い銭」をたんまり持っているわけじゃない。中国で買う日本酒は相当に高かったから、かなりつらい出費だったのではないか。


そう思って見たら、ポーランドの留学生は、中国の安酒――二鍋頭(アルグオトウ)という強烈な蒸留酒――の瓶を回してラッパ飲みしていた。全員がほぼ、ヘベレケ。


私も高価な日本酒をいただくのは気がひけたので、二鍋頭の回し飲みに加わった。まあ、事情が分かったところで「覚えていてくれていてありがとう」とでも言って立ち去ればよかったんだけど、話の流れで一緒になって飲んでいた。


語言学院には中国人もいた。中国人学生も通りかかる。酒が回ると、見境いがなくなる。ポーランド人たちは、中国人の学生にも酒を勧めていた。アジア人ということで、同じように見えたのかもしれない。中国人学生も事情を聞くと、「そうなのか。そんなことがあったのか」と言って感心した表情。何人かは、日本酒をふるまわれていました。


ポーランドの学生ができる日本語は「ニッポン バンザーイ!」だけ。私がそれに加わるのも妙なのでお返しに「ポーランド  バンザーイ!」と叫ぶことにした。私以外にも、日本人が1人、2人と加わりました。日本人を含めて、全員がほぼヘベレケ。


日本酒がなくなったところで、なんとなくお開きになりました。ポーランドの留学生とは住んでる寮の建物が違うので、握手をして別れた。語言学院の寮は、おおむね出身の地域別で建物が別れていて、彼らはどうも、日本人が住む寮の前にやって来て「感謝の振る舞い酒」を始めたらしい。


私が寮の建物に入ると、別の日本人留学生に「あれ、いったい何だったんですか?」と尋ねられました。事情を話すと彼も「ふううん。そういうわけですか」と感心した様子。すっかりよい気分になっていた私は、説教口調になって「だから、情けは人のためならずなんだよ。覚えていてくれたのは、実にありがたいことだよ」なんて言った。


そうしたら彼、「でもねえ。脇で見ていると、酔っ払いに国境はないという事実を確認できただけです」なんて言い出した。ま、そりゃそうだ。事情を知らなきゃ、ワケがわからんだろうなあ。