人民日報が故黄菊氏を絶賛する論説、生誕80年…江沢民元主席の腹心、07年に死去

中国共産党機関紙の人民日報は28日、「中国の特色ある社会主義の偉大な事業のために終生奮闘-黄菊同志生誕80周年を記念」と題する論説を掲載した。黄氏は中国共産党中央政治局常務委員、中国政府筆頭副首相を務めていたが、在職中の2007年6月2日に死去した。膵臓癌だったとされる。黄氏は江沢民元国家主席の「忠実な腹心」だったことでも知られる。
黄氏は1938年9月28日に上海市内で生まれた。北京市内にある清華大学で学んだが、卒業後は上海市内の工場に配属された。本格的な政治活動を始めたのは文化大革命終了後の1977年ごろからで、上海市の制度改革や経済建設などに貢献したとされる。
1985年からは、中国共産党上海市委員会副書記や上海市副市長として、上海市長だった江沢民氏に忠実に仕えた。黄はその後、上海市長や上海市委員会書記に昇進。胡錦濤政権が発足した2002年秋の党大会では党中央政治局常務委員、03年春の全国人民代表大会では副首相に選出された。
胡錦濤氏は前任の江沢民氏とは方針も人脈も異なった。派閥トップとして互いに対立していたと理解してよい。江沢民氏は共産党最高幹部に関しての年齢についての慣例と国家主席の三選禁止の憲法の定め(いずれも当時)に従って引退せざるをえなかった。故トウ小平氏の遺志により、胡錦濤氏に政権を譲ることは「既定の路線」だったとされる。
そのため江沢民氏は、退任後も自らの影響力を残すため、共産党の最高指導層である中央政治局常務委員会に「子飼いの部下」を多く入れ込んだ。黄菊氏もそのひとりで、江氏に対して「愚直なまでに忠実」な存在だったとされる。
黄菊氏は、上海の急速な経済発展に貢献したと評価されている。一方で、不動産関係で一部業者と結託した疑惑などが発生した。また、黄菊の後任として党上海市委員会書記を務めた陳良宇氏は収賄や職権乱用で逮捕され、懲役18年の有罪判決が確定した。陳良宇氏の罪状のひとつとされた社会保障基金の不正使用については、黄氏の夫人も関係していたとの見方もある。
黄菊氏には、江沢民元主席の息子である江綿恒氏が通信分野などで莫大な利権を獲得する手助けをしたとの噂もある。
陳氏の失脚は2006年9月だったが、黄菊氏も調査対象になったとの報道が出た。一方、同年1月には香港紙が黄氏が膵臓癌を患っていると報じていた。同時期から黄氏の動向が伝えられなくなったので、さまざまな憶測が出た。その後、07年6月2日に、黄氏が同日未明に膵臓癌のため死去したと報じられた。同報道は黄氏を「中国共産党の優秀な党員」「忠誠なる共産党主義戦士」「党と国家の卓越した指導者」などと高く評価したため、腐敗事案に関係していても共産党上層部の安定のために死後は責任を追及しない「黄菊モデル」と評する批判が出た。
人民日報が28日に掲載した「黄菊同志生誕80周年」は約6000文字の長大な論説だ。黄菊氏の業績をたどり絶賛する内容で、著者は中国共産党中央党史文献研究院とされている。
黄菊氏についての公式評価は、死去の直後の報道で確定されていた。生誕80周年の節目とは言え、共産党機関紙である人民日報が、「絶賛記事」をなぜ掲載したかは不明だ。中国共産党の最高指導層のひとりではあったが、共産党総書記や国家主席などには就任していない黄氏について、人民日報がここまで大きな紙面を割いて「絶賛」を掲載したことには不自然さも感じる。同論説掲載が、何らかの「権力の綱引き」が関係している可能性も否定できない。(編集担当:如月隼人)

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