まったくもって、他人ごとじゃないなあ


最近、目にした記事です。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130627/trl13062710070000-n1.htm

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130627/trl13062710070000-n2.htm

ううむ。他人ごとではないなあ。日本語の中の外国語問題。主に英語ですかね。あ、「コンセルジュ」はフランス語か。とにかく、どこまで使ってよいのか、使うべきなのか。記事を書く身としては、まったくもって他人ごとではない。


私はできるだけ、使わないようにしています。「リスク」とか「ケア」といった言葉も、使うとしてもかなり迷います。「リスク」だったら「危険性」とか「恐れ」とか、場合によっては「可能性」とする。


「ケア」は、言い換えがちょっと難しいかな。「ケアする」だったら、「対応する」とか、「措置する」とか。一番近いのは「手当てする」なんだろうけど、これだとかえって、なんか的を外しているような感じになる。


要するに、難しいのはそこなんですよね。自分の感覚通りに言葉を使おうと思ったら、むしろ外来語のほうがしっくりする場合が、結構多い。


考えてみれば、日本人は千年以上前から膨大な数の中国語単語を取り入れて、自分らの語彙を大幅に増やしてきたという歴史がある。江戸時代から明治期にかけては、西洋文化を導入するために「和製漢語」を大量に作った。


それだって、中国語単語を大量に導入して、使いこなしていたという背景があったからこそ、可能だったのだと思う。だから、外国語単語の導入することを一律によくないともいえない。


言葉を導入することは、概念を導入することですから、「今までにない概念」あるいは「類似の概念はあったけど、ちょっと違う概念」といった場合、外来語を使った方がよろしい場合も出てくる。


とすれば問題は、外国由来の文化に接して、その概念を示す日本語の単語が本当にないかと探してみることになりますね。探す意識がなかったり、探し出す能力が欠落している場合に、安直に外国語単語をカタカナにして使ってしまいやすいということになります。


結局は、国語力の問題なのだよなあ。とすれば、多くの人に読んでいただくべく記事を書いている身としては、外国語単語について、できるだけ、ぴったりする日本語を探す努力をする責任があることになる。探しているうちに、その外国語単語についての理解が深まるという、自分自身にとって「お得」になる面もある。


まあ、そう思いつつ、記事中ではできるだけ日本語――といっても、多くの場合には漢語です――を使うようにしています。このブログみたいな、個人の立場で書いている文章は、外来語がもうちょっと多いかもしれません。


いずれにしろ、私は初めての外来語に出くわしたときには、まず意味を調べ、それから「日本語で置き換えがきなかいか」と頭をひねる作業を続けて行くことになると思います。


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日本語の場合、漢字とかなを混ぜて使うという、柔軟性が非常に高い表記法なので、外来語問題がことさらに大きくなってしまうのかもしれませんね。中国語だと基本的に漢字しか使えません。漢字を使って音訳をすることもあるのですが、音だけを表すのにあの画数では労力が大きすぎる。ということで、ぴったりの意訳が出来ると、それまでの音訳が駆逐されるという現象も見られます。


過去十数年の「傑作意訳」としては「電脳」があるかな。もっともこれは台湾で作られた言葉といいます。大陸側の正式用語は「計算機(ヂースワンヂー)」です。


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最近になり、言葉について「他人ごとじゃない」と思えた記事には

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130901/stt13090112000001-n1.htm


もあります。誤字の問題。まったく他人ごとではないよなあ。