五輪開催について思うこと

本日は2013年9月7日。あと1日もしないうちに、2020年の五輪開催地が決まります。私ごときが、しかもこのタイミングで意見を言っても、結果に影響があるとは思えませんから書くのですけど、私は「今の東京に五輪は必要なし」との考えです。


1964年の東京五輪には、大きな意味があった。戦後の新しい日本を世界に向けて紹介することもできた。東京の都市機能も――問題はあったといえ――整備された。日本にとっても「大きな得」があった。でもねえ、今、東京で五輪大会を開催しても、そんな大きな意味があるとも思えない。


都市機能についても「東京で開催すれば、すでにある施設が利用できる」なんて強調しているぐらいだから、新たに付け加えるものは少ないと言っているようなものだ。


東日本大震災からの立ち直りを示すなんて意味は、たしかにあるかな。でもそれは、五輪を通じて示す必要があるのかなあ。「どうしても」ってことでもないと思います。


五輪開催については、例えば1度も開催したことのない国の都市に譲るべきだと思うんですよ。日本はむしろ、そういう都市での開催を応援する立場になった方がよい。


たとえば、「五輪開催日本基金」なんてものを作る。ODAみたいなものですね。候補地決定前に、どこかの都市に肩入れするのではない。「開催が決まったら、これだけのお金で支援できますよ」ということを表明しておく。


開催が決まった都市から要請があった場合には、資金面で協力できると宣言しておく。資金面だけじゃなくて、都市建設なんかの分野での日本の経験と能力を生かしてもらうために、専門家の派遣なんてことをしてもよい。


もちろん、開催地から要請があった場合です。でも、その前に、立候補を表明した都市に日本から人を派遣して、どのような意図で支援して、どのようなことが出来るかを説明しておく。


だから、「ただお金を貸すだけ」じゃなくて、意思の疎通も進むことになる。それまで交流があまりなかった都市の人々に、日本のことをよりよく理解してもらえるきっかけにもなると思う。


五輪開催地を争えば、成功した方は嬉しくても、実現できなかった方はがっかりする。今回も都知事が、イスタンブールについて“失礼”な発言をして、大問題になりかけた。勝ちを争うと、どうしても相手を蹴落とそうという気持ちが出てくる。これは、よくないなあ。


それよりも、相手の「祝い事」に力を貸した方が、よほどよいと思う。日本という国の善意を実感してもらえれば、日本にとっても長期的に“得”になる。どうでしょうか。