東アジア今日は何の日:6月3日~露清密約が締結、日露戦争の一因に

1896年6月3日、ロシアの首都、サンクトペテルブルグを訪れた清国欽差大臣の李鴻(写真)は、ロシア側と相互防衛同盟を名義とする秘密条約の露清密約(李鴻章-ロバノフ協定)を締結した。実際には、清側がロシアに対して満洲における大きな権益を認める不平等条約で、1904年に始まる日露戦争の大きな一因になった。同条約の締結に当たり、李鴻章はロシア側から50万ルーブルの賄賂を受け取ったとされる。
日清戦争の講和条約では、清が日本に遼東半島を割譲することが定められたが、ロシア、ドイツ、フランスがそれぞれの思惑から、日本に対して遼東半島を清に返還するよう要求した(三国干渉)。ロシアにとって日本の遼東半島領有は、自国の南下政策の妨げになるので容認するわけにはいかなかった。
 
日本は当時の国際環境における力関係から遼東半島の返還に応じざるをえなかった。下関条約で日本は清から賠償金として2億両を得たが、遼東半島返還にともないさらに2000万両が追加された。計2億2000万両の賠償金を現在の貨幣価値に換算することは困難だが、当時の清の国家予算4年分に相当したとの説もある。
 
財政難に陥った清は、列強各国から借款の供与を受け、その見返りに租借地や鉄道敷設権などの権益を獲得した。ロシアは清に対して積極的に借款供与を申し出た。さらに露清密約により、ロシアは満洲などで大きな権益を獲得した。
 
露清密約の内容は<1>日本がロシア極東・朝鮮・清に侵攻した場合、露清両国は陸海軍全軍が相互に援助する、<2>戦争の際には、清の港湾はすべてロシア海軍に開放される、<3>ロシアの軍移動のために、清はロシアが黒龍江省と吉林省を通過してウラジオストクに至る鉄道を敷設することを認める(東清鉄道)、<4>戦時あるいは平時に関係なく、ロシアは同鉄道により軍隊と軍需物資を自由に輸送できる――などだった。
 
ロシアはその後、露清密約を拡大解釈して、東清鉄道から離れた都市や鉱山も「鉄道附属地」として支配下に置き、排他的行政権を行使した。ロシアは1898年には清に対し、旅順・大連の租借を認めさせ、自国海軍の軍港とした。つまり、ロシアは露清密約をテコに、満洲を自らの勢力圏に組み込んだことになる。
 
ロシアは次に、朝鮮を自らの勢力範囲に組み込む動きを加速させた。日本は下関条約で清に、朝鮮の「完全な独立」を認めさせていた(1897年に国号を「大韓帝国」に変更)。日本は、朝鮮を勢力範囲にすることを安全保障上の必須事項と認識していた。ロシアは17世紀末以来、領土拡張を続けてきた国であり、日本はロシアが朝鮮半島に勢力を伸ばせばいずれは領有し、その場合には日本の安全と独立は危機的状況になると判断し、ロシアとの開戦を決意した。
 
ロシアの南下政策を加速させることになった露清密約は、日露戦争を導いた大きな原因だったと考えられる。なお、日露戦争の陸上における主な戦場は満洲南部であり、露清密約によれば清はロシアを軍事支援する義務があった。しかも、自国領内が戦場になったにも関わらず、清は日露戦争について「局外中立」を貫いた。(編集担当:如月隼人)

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