東アジア今日は何の日:6月8日~反右派闘争が始まる 共産党による異論封殺が決定的に

中国共産党機関紙の人民日報は1957年6月8日、同党の毛沢東主席が執筆した「これはなぜだ?」と題する社説を掲載した。同社説を大きなきっかけとして、共産党を批判した者を弾圧する「反右派闘争」が始まった。
毛沢東が56年4月から5月にかけて、「百花斉放百家争鳴」の言い方で多種多様な意見表明を促し、「共産党への批判を歓迎する」と発言した。
 
しかし中国ではそれまでにも、作家の胡風とその同調者が党の文化官僚を批判したことで弾圧されたことなどがあり、毛沢東の求めに応じて自由な意見表明をした人はそれほど多くなった。
 
毛沢東は57年2月から3月にかけて、改めて共産党に対する批判を求めた。すると、共産党を厳しく批判する声が急速に強まった。「憲法が紙くず同然」と、統治の現状が法治から完全に乖離しているとの指摘や、工業生産高のような情報すら国家機密にしていることへの批判、さらに党が芸術を指導していることについて「だれがベートーベンを指導できるのか?」など党の権威を否定する意見も続出した。
 
中国共産党は5月1日、党員向けに「整風運動に関する指示」を発表。「全党は官僚主義、宗派主義、主観主義に反対する整風」の展開を決定したととした。同時点でもまだ、党員に対して自らの考えを述べるよう奨励しているが、発言内容の範囲を狭めようとしたとも解釈できる。
 
しかし、共産党批判はさらにエスカレートした。毛沢東は同時点で、共産党批判をする勢力を「右派」と認識し、右派への批判を準備するよう指示。一方で、「右派は有頂天になっている。だが、まだ釣り上げてはならない」との述べたとされる。
 
人民日報が6月8日に掲載した社説「これはなぜだ?」で、毛沢東は一転して「右派分子が社会主義を攻撃している」と主張。「口では社会主義を擁護する。共産党を擁護する」などと言うが、「実際には資本主義に向かうものであり、脳内には欧米式の政治へのあこがれがある」などと、「右派」は中華人民共和国として絶対に容認できない存在と激しく非難した。
 
それ以降、自由な意見表明は急速に衰退し、逆にそれまでの言動を理由に、多くの人が弾圧の対象になった。右派弾圧には大衆も動員され「反右派闘争」などと呼ばれるようになった。大衆動員による政治運動は、後の「大躍進」や「文化大革命」でも繰り返されることになった。
 
多くの知識人やリストが反右派闘争の対象となり、1958年には55万人が辺境に送られ労働改造(労働による思想改造)をさせられたり、あるいは失職、死亡したとされる。
 
毛沢東が「百花斉放百家争鳴」から「反右派闘争」へと、方針を180度転換した理由は不明。「批判のあまりの高まりに驚き、体制内に“反革命分子”がいると改めて認識した」との見方もあるが、「最初から、自らを批判する可能性のある者を社会全体から排除しようとする陰謀だった」との説もある。
 
「反右派闘争」は多くの人に、「党の方針は大きく変化することがある。うっかりしたことを言えば、身が危ない」との考えを改めて植え付けた。また、異論を封殺するという共産党の方針が最終確定した出来事だったとも言える。
 
中国共産党が1981年にまとめた、中華人民共和国成立から同時点までの同党の功罪を評価した「建国以来の党の若干の歴史問題についての決議」は、「反右派闘争」について、行き過ぎにより「不幸な結果をもたらした」が、闘争そのものについては、共産党に取って代わろうとした勢力に対する「断固とした反撃」であり「完全に正確で必要なものだった」と結論づけた。(編集担当:如月隼人)

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