東アジア今日は何の日:6月9日~犠牲者100万人規模…蒋介石が日本軍食い止めのため黄河堤防決壊

1938年6月9日、蒋介石率いる中国国民軍は河南省鄭州市の花園口鎮で約8キロメートルに渡り黄河の堤防を破壊・決壊させた。増水期だった黄河の水が大量に平原に流れ出し、大量の住民が死亡した。水死者は100万人と見方もある。
 
写真は日本軍の住民救助を伝える当時の日本の新聞。
1939年の日中戦争開始以来、日本軍は中国中心部に急速に進軍した。中国北部のほぼ全域を制圧し、6月6日には河南省開封市を占拠。河南省は中国の東西南北を結ぶ最も重要な交通の要所であり、国民党はどうしても、日本軍の進撃を阻止したかった。蒋介石は現地司令官の「黄河の堤防破壊により洪水をおこし、日本軍を阻止」との提案を受け入れた。
 
当時の現地における黄河の状況を伝える資料は見当たらないが、黄河は河南省などでは「天井川」になっている個所が多い。つまり、流速が比較的速い上流から流されてきた土砂は流速の遅くなった平原部で川底に堆積する。しかし、流速が遅い両岸ではさらに多くの土砂が堆積し自然堤防が形成される。
 
そのため、通常ならば川が流れを変えることはないが、川底と堤防は年月を経るに従い上昇していくので、川底は周囲の平原より高まる。自然堤防が決壊すれば、大量の水が一気に高さの低い周囲の平原に流れ込むことになる。
 
国民党軍は自軍の撤退が完了するまで堤防の破壊を見合わせていた。堤防破壊現場への住民の立ち入りは遮断されたが、住民を避難させる動きは特になかったとされる。
 
1回目の堤防爆破は6月7日に実施されたが失敗。2回目は花園口鎮で6月9日に実施された。水没範囲は河南省・安徽省・江蘇省にまたがる5万4000万平方メートルに及んだ。記録によって異なるが89万人~100万人の水死者が出たとされる。周辺に進出していた日本軍は住民の救助作業に乗り出し、10万人以上の救出に成功したとされる。
 
住民救出のために出動した日本軍や、日本軍の支援を受けて土嚢積みなどで被害拡大を防ごうととして住民に、国民党は銃撃や爆撃などで攻撃した。国民党側は、黄河決壊は日本側の仕業として非難。ただし、各国のメディアは国民党発表に慎重な姿勢を保った。現在の中国は、中国国民党軍が起こした事件だったと認めている。
 
河南省では1942~43年にかけて、干ばつやイナゴ大発生、疫病などの災害も発生した。堤防決壊の影響があると考えられている。餓死者は300万人に達し、土地を捨てた者も300万人、さらに1500万人が生活不能になり、救援の手がないと生き延びられなくなったという。
 
1944年春、日本軍は河南省の全面制圧を決定。中国軍は農民からの苛酷な挑発にたより兵力を増強しようとしたが、農民の抵抗のため失敗。国民党軍5万人が農民自警団に武装解除されるなどの事態も発生した。日本軍は3週間以内に当初目標をすべて占拠し、約30万人の現地中国軍を壊滅させた。(編集担当:如月隼人)

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