東アジア今日は何の日:6月15日~新台湾ドルを発行、戦後通貨史にも混乱と矛盾(1949年)

台湾で1949年6月5日、新台湾ドル(新台幣)が発行された。戦後の台湾は、中華民国政府が統治することになったことで混乱が発生。しかも、国共内戦に敗れて大陸部を放棄せざるをえなかったにも関わらず、中華民国政府が中国全国唯一の正統政府との建前を押し通したことで矛盾も生じた。台湾の戦後通貨史は、混乱と矛盾の影響を受けた。
 
台湾に初めて登場した近代的通貨は、日本統治下にあって台湾銀行が発効した台湾銀行券だった。日本が第二次世界大戦での敗北したことを受け、中華民国中央政府は1945年8月15日付で台湾銀行券の流通停止を宣言。しかし大陸部の通貨(法定貨幣=法幣)は不安定であり台湾で流通させることはできないとして、過渡的な「中央銀行台湾流通券」を導入しようとした。
 
しかし、同年10月25日に発足した中央政府の出先機関である台湾省行政長官公署は旧台湾銀行券を流通させつづけることを決めた。一方で、同年8月15日時点の台湾銀行券の発行総額は約13億元だったが、10月中旬には29億元近くに膨れあがっていた。まだ現地に留まっていた台湾総督府の日本人主計課長が、日本から大量の紙幣が台湾に空輸されたとする文章を残しているという。
 
国民党関係者または国民党が組織ぐるみで、何らかの不正を行うために台湾に紙幣を持ち込んだ可能性は否定できない。紙幣の発行量が急増すれば、強烈なインフレーションが発生する。台湾の元からの住民にとって、極めて不利益な事態が進行したことは容易に想像できる。
 
終戦前の台湾銀行は、台湾における中央銀行としての業務も行っていた。同行は1946年5月20日付で、それまでの台湾銀行に、台湾貯蓄銀行と三和銀行の台湾内での店舗を統合する形で再編成された。新たに発足した台湾銀行は同年5月22日、中華民国政府からの受託の形式で、「台幣兌換券」の発行を開始した。旧台湾銀行券との交換レートは1:1だった。同時点で、台湾銀行券は「旧台幣」、台幣兌換券は「新台幣」と呼ばれた。
 
しかし、新たに流通し始めた台幣兌換券の価値は暴落しつづけた(インフレーション)。上海で発生した金融危機と、国民党が国共内戦のため台湾党内の民生物資を大陸に大量に移送して戦時物資にしたことが影響したとされている。
 
1947年2月28日には、台北市内で闇たばこを販売していた女性が官憲に殴られたことがきっかけで、台湾全島で民衆が大陸からやってきた国民党関係者などに抵抗し、国民党側が武力で鎮圧する事態が発生(2.28事件、現在までの公式見解で犠牲者数1万8000~2万8000人と推定)。深刻な事態になった背景には、台湾住民が国民党関係者の横暴さや腐敗に強い不満を持ったことに加えて、経済での失政に対する怒りがあったとされる。ちなみに、当時の台湾ではたばこが統制品だったが、大陸では自由に販売されていた。
 
インフレーションに対応するため、台湾省政府はそれまでの台幣兌換券4万元を新通貨1元とするデノミネーションを実施した。新通貨は「新台幣」と呼ぶことになったので、それまでの台幣兌換券は改めて「旧台幣(旧台湾ドル)」と呼ばれるようになった。
 
1928年に上海で設立された中華民国中央銀行は1949年には台湾に移転した。しかし台湾における通貨発行を含む中央銀行の業務はその後も長く、台湾銀行が継続した。中華民国中央銀行は「中国全国の中央銀行」という建前だったため、台湾省だけに適用される金融政策には直接関与しないとの理屈だった。また、台湾で中央銀行の役割を担った台湾銀行を所管するのは中華民国政府ではなくて、台湾省政府だった。
 
中華民国中央銀行は1960年代から徐々に、中央銀行としての機能を果たすようになった。通貨発行を行うようになったのは2000年からだった。
 
日本では、新台幣を台湾ドル、またはニュー台湾ドルと呼ぶことが多い。2019年6月14日時点のレートは1台湾ドル=3.43日本円だ。(編集担当:如月隼人)

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