東アジア今日は何の日:6月16日~黄埔軍官学校が開校、周恩来も関与した国民党組織(1924年)

中華民国大総統の孫文が1924年6月16日、広州市に黄埔軍官学校を開設した(正式名称は陸軍軍官学校)。同校の校長は蒋介石で、中国共産党の周恩来が政治部副主任を務めた。当時は第一次国共合作時代で、国民党はソ連の影響を強く受けていた。
 
当時の中国は、事実上の分裂時代だった。各地の軍閥が勢力争いを続け、北京では安徽派政権、直隷派、奉天派連合政権、直隷派政権、執政府政権などが入れ替わり登場した。孫文は出身地の広東にいて、全国統一にはほど遠い状態だった。
 
孫文はソ連およびコミンテルンと接近し、1924年1月20日に第一次国共合作が始まった。軍閥に対する共同戦線の意味がある提携で、共産党員は個人の資格で孫文の率いる中国国民党への入党が認められた。また、軍閥を倒すためには自らの強い軍事力が必要とのことで、中国初の本格的な陸軍士官養成学校が設立された。これが黄埔軍官学校だった。
 
校長には蒋介石が就任。蒋介石にとって黄埔軍官学校の校長を務めたことで得た卒業生を含めた人脈は、その後に絶大な指導力を獲得するために大いに役立ったとされる。
 
同校スタッフには、周恩来が葉剣英が教授部副主任、周恩来が政治部副主任を務めるなど、共産党員もいた。また、共産党の軍指揮官になった林彪や陶鋳なども同校の出身者だ。
 
1924年6月16日に行われた開校式典での孫文の演説は、一部が中華民国国歌になった。
 
1925年に孫文が死去すると、蒋介石は1926年には軍閥勢力を打倒するための北伐を開始。また、前後して国民革命軍総司令に就任した。北伐で勝利を重ねたことで、蒋介石の威信は極めて高くなり、権力掌握に成功。北伐には、黄埔軍官学校出身者が大きく貢献した。
 
北伐が終盤に近付いた1927年4月、蒋介石は上海クーデターを実施。多くの共産党員や支持者を殺害した。同様
の事態は他の地方にも広がった。共産党は7月になり国共合作の終了を宣言した。国共合作の崩壊により、黄埔軍官学校に多くいたソ連人の教官や中国共産党関係者は同校から引き上げた。
 
第二次世界大戦後の国共内戦の影響で、同校は四川省成都市に移転し、さらに台湾に渡った。同校は現在も、中華民国軍官学校(大学)として存続している。所在地は高雄市。(編集担当:如月隼人)

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