中国的旭日旗的毛主席賛美的画像

本日は、旭日旗に関連するニュースを1本、掲載しました。私は、スポーツの試合なんかで旭日旗をかざすことには、あまり同意できませんね。旭日旗の起源と見解については以前にご紹介しました。

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0416&f=national_0416_026.shtml


でも、自衛隊という実質国防軍が使用している以上、スポーツの試合で持ち出すのは不適切という考えです。


しかし同時に、韓国や中国の一部で発生している旭日旗排斥については、反発を感じています。


デザインとか意匠は、本来的にはその出来栄えで評価すべきという考えだからです。同時に、由来において「明らかに、現在、正統と見られている考え方と本質的な矛盾がある」とみなされる場合には、排斥やむなしとの考えもあります。


ナチスが使ったハーケンクロイツも、デザインとしてはとてもよくできている。ただし、使われ始めた由来については明らかに人種差別の要素が本質的だった。だから、排斥も“やむなし”という考えです。


旭日旗には本来、そのような容認しがたい背景はない。だから、旭日旗を排斥するのはおかしいという考えです。


ひとつのデザインに多くの人が感銘を受けたり、強く印象に残る場合、そのデザインには人の心の奥深い部分と共鳴する部分があると考えるべきでしょう。だったら、「デザインにゆさぶられる心」と「心をゆさぶるデザイン」の関係を大切にすべきとの考えです。


よくできたデザインが排斥されたのでは残念だし、そのデザインそのものや、デザインを作りだした人や人の集団がかわいそうすぎる。


まあ、私は芸術至上主義とまではいかなくとも、芸術重視主義の傾向が強いのかもしれない。


中国も、対日感情がここまでこじれる以前には、旭日旗についてそれほど神経質にはなっていなかったのですよ。その証拠が次の記事。

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=0625&f=politics_0625_005.shtml

中国メディアが「旭日旗」はためく日中友好を報道


それから、旭日旗様のデザインが人の心に対する訴求力があったということは、古代マケドニアの国章なんかでも分かります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B1%E3%83%89%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%8E%8B%E5%9B%BD

古代マケドニア王国のもので、現在でもマケドニアの国旗やギリシャ・マケドニア州の旗に用いられています。


あ。「負けどにあ」なんておちょくってはいけませぬよ。あのアレクサンダー大王を出した国。世界史の、少なくとも歴史上の一時期において、その後の人類の趨勢を決定づけた国とも言える。


さて、中国です。記事でもちょっと触れましたが、文化大革命時代に毛沢東主席をあらわすために、よく用いられました。毛沢東主席は「昇りゆく赤い太陽」にたとえられましたからね。

http://sc.jb51.net/Design/Other/23814.htm


これは、新たに作られた画像みたいですが、まあ、かつての中国にはこんな意匠があふれていました。


ここでは、毛沢東崇拝の是非については触れません。ただ、毛主席の「勢いのよさ」、「未来の明るさ、つまり縁起のよさ」を表すために、日輪と日輪が放射する光線が用いられたのは明らかです。つまり、中国人も「縁起のよさを表すデザイン」として認識していたわけです。


以上が、私が旭日旗に対する過度の排斥に反発する理由です。自分としては理屈が通っていると思うのですが、どうでしょう?