東アジア今日は何の日:6月17日~日本による台湾統治が正式に開始。(1895年)

 
初代の台湾総督に就任した樺山資紀(写真)は1895年6月17日、台北で台湾総督府始政式を実施した。ここに、日本による台湾統治が正式に始まった。
 
1894年に始まった日清戦争に敗北した清国は、講和を定めた翌95年の下関条約で台湾の割譲を認めた(4月17日締結)。台湾に派遣され現地を統治していた清国の官僚にとっては頭ごなしの決定だったために強い反発が発生し、代々台湾に住んでいた人々の間にも日本による統治を拒否する動きが広まった。
 
95年5月23日には、アジア初の共和国として台湾民主国の独立が宣言された。しかし国際的な支持は得られず、5月29日に日本軍が現在の新北市に上陸すると、抵抗勢力は総崩れになった。
 
台湾民主国の総統(元首)は清国高官だった唐景崧で、その他の上層部にも清国から派遣された高官が多かった。しかし情勢不利が明らかになると、清国元高官は相次いで逃亡した。
 
日本軍に最後まで抵抗したのはむしろ、原住民族を含む台湾出身者だった。一連の戦いで、日本側の損害は戦死者164人、戦病死4642人、負傷515人と記録されている。台湾民主国側は約1万4000人が死傷したとされる。日本が台湾全島平定を宣言したのは、1895年11月18日だった。
 
初代の台湾総督に就任した樺山資紀は1895年6月17日、台北で始政式を実施した。樺山は鹿児島出身で1837年生まれ。薩英戦争、戊辰戦争に従軍し1871年には陸軍少佐に任じられた。西南戦争では熊本鎮守台参謀長として熊本城の死守に成功した。その後は海軍に転じ、台湾総督に就任するまでに、海軍大臣や海軍軍令部長などを歴任した。
 
日本はそれまで海外に領土を持つ経験のなかったこともあり、台湾統治は当初、うまく行かなかった。総督府は軍事力にたよる強硬な統治を実施したため、かえって住民の抵抗運動が続いた。
 
また、日本から派遣された台湾総督の任期は、初代の樺山資紀が1年1カ月、2代目の桂太郎が4カ月、3代目の乃木希典が1年4カ月といずれも短かった。
 
台湾統治の様相が一変したのは、1898年に就任した4代目総督の児玉源太郎の時代だった。児玉は民生長官に抜擢した後藤新平を全面的に信頼。後藤は現地を徹底的に調査した上で、土地制度改革、電気水道供給施設・交通施設情報施設などの整備、アヘン中毒の撲滅、学校教育の普及、製糖業などの産業育成で台湾の近代化を着実に推進し、一方で統治への抵抗は徹底的に鎮圧する「アメとムチ」の方式を確立して成果をあげた。
 
児玉や後藤が、抵抗した台湾人でも帰順すれば寛容に扱ったことも奏功したという。児玉の任期は8年2カ月と、それまでにない長さだった。
 
日本統治時代の台湾では、日本と関係する地名が多く採用された。台北市内には樺山資紀を記念して、樺山町という地名もできた。また、1937年に樺山町に開設された貨物駅は「樺山貨物取扱駅(樺山貨物取扱所)」と呼ばれ、市内物流の重要な拠点になった。
 
戦後に台湾に進出した国民党政府は日本風の地名などを禁止したため、「樺山」がつく地名や施設名は、中国語発音が同じ「華山(ホワシャン)」に改められた。「樺山貨物取扱駅」も「華山車站」と改名され、1986年に台北駅周辺の鉄道の地下鉄化に伴う駅廃止まで利用された。
 
現在も、華山商務大楼(民進党中央所在地)、華山公園(樺山貨物取扱駅跡の一部)、華山文芸特区など、樺山資紀にちなむ施設名などが残っている。(編集担当:如月隼人)

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