包んで包まれ、やっと満足する私たち

最近、寝ていて夢を見て、目を覚ましてまだ朦朧としている時に、見たばかりの夢を記事化しようと頭のなかで文章を組み立てていることが多い。いかん。職業病だ。


そんなネタ、使えません。ソースが「夢」なんだから。第一、しばらくすると、その夢の内容すら忘れていることが多い。


本日朝は、仕事に関連して会った人に、名刺を交換している夢をみた。それだけなら何の変哲もありませんが、なぜか私も相手の人も、名刺を封筒みたいな、あるいはポチ袋と言った方が近いかな。そんなものに入れて相手に渡していた。

目を覚ましてぼんやりする頭で、「これは記事にはできないなあ。だったらブログのネタになるかな」なんて考えていて、思いついた。日本の「包装文化」と「言葉における敬称の常用」。あ、これ、書ける。目が覚めました。


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日本では「包装の文化」が根付いている。さまざまな商品で、包装をよく考えていて当たり前。商品そのものだけじゃなく、高級品を扱う商店やデパートなんかでは、店員さんの包装紙でくるむ技術もすごいもんだ。多少複雑な形をした箱なんかでも、ぴったりとくるんでくれますよね。


だいぶ昔ですけど、北京の人と香港の人に、「日本の商品は外観だまされる」と言われたことがある。商品が入っている箱なんかがすばらしいのに、中味はそれほどたいしたことない場合があるというのです。


うーん。これは受けとめ方の違いだなあ。今では必ずしもそうではないのですが、中国の商品の包装はいいかげんだったからなあ。日本の商品の外観をみると「あ、これはとびきりの品だ」なんて判断してしまう。開けてみると、そこまですごいことは言えない。その落差を感じてしまうということらしい。


商品だけじゃありませんよね。日本では「謝礼」、それから「お年玉」なんかもそうですけど、きちんと作られた紙袋に入れて渡すのが常識です。袋が用意できていない場合には「裸でお渡しして申し訳ありません」なんて、渡す方が謝ったりする。


中国では、そういう種類のお金を「裸」で渡しても、あまり違和感はない。たとえば、子どもの勉強に個人教授をしてもらう場合とか、楽器のレッスンなんかをしていただく先生にも、授業料を「裸の現金」で支払う場合がある。むしろ、その方が普通かな。


日本人はどうも、「対外的な物」について、その回りを包んで外観を整えた状態にして、はじめて「完成品」とみなすのではないかなあ。「完成品」でないものを提示したり相手に渡すのは「失礼なこと」、あるいは「誠意が不足」と感じる。


そこで連想したのが、日本人の言語習慣における「敬称の常用」です。氏名だけを言うことは「呼び捨て」なんていって、相当に無礼な行為とみなされる。


場合によっては、役職や肩書を敬称の代用と見なすこともある。これもけっこう複雑な習慣があって、例えば組織内だったら「○○部長」なんて言い方をする。組織外の人だったら、「肩書は本来、敬称ではない。だから『××株式会社部長、○○様』とするべき」なんて、細かく使い分けたりします。


事件報道なんかもおもしろいよなあ。昔は容疑者にされた時点で呼び捨てにしていた。今は、容疑者にも「○○容疑者」なんて“肩書”をつけるようになった。背景には「容疑者とされた段階では、罪が決まったわけではない。だから、人権には配慮すべき」との考えがあります。


ただなあ、刑が確定して例えば服役中の人に対しても「○○受刑者」なんて言うようになった。懲役を終えて世間に戻ってきたら「元受刑者」。人を呼び捨てにするのは、親しくつきあっている相手を除いて、心理上の抵抗感がかなり大きいみたいです。


中国では違うなあ。社会的な儀礼においては、「先生(シェンション)」とか「女士(ニューシー)」なんて言葉をつかいます。知的な技能を持っている人には「老師(ラオシー)」という言い方もあります。ちなみに、「先生」は英語の「ミスター」に相当し、男性だけにつかいます。「老師」は男女ともに使えます。


ところが、報道文なんかでは、呼び捨てが多い。冒頭の部分には、肩書を示す必要もあるので「日本首相安倍晋三説……(日本の首相、安倍晋三が……と言った)」ですけど、その後は「安倍説(安倍が言った)」になります。


別に、日本の首相をおとしめているわけではなく、自国の指導者も「習近平説……(習近平が…と言った)」、「習説……」となります。


ちょっと例外なのは、共産党の発表です。「習近平同志」なんて言い方をします。習近平総書記が、共産党総書記としての正式な職権にもとづいておこなった以外の行動を紹介する場合なんかですね。


過去の人物についても「毛沢東同志」なんて言います。「同志(トンヂー)」は最近、ある「隠語」としても定着してしまったのですが、それは別の話。


英語の報道文も中国に近いかな。今、ちょっと調べた記事では、冒頭では「President Barack Obama canceled a trip to Asia……」となっていて、次の部分では「Obama had already shortened the trip……」となっていた。中国での書き方と同じですね。


日本で「オバマは……」という書き方は、ほとんど考えられない。「オバマ大統領は……」とします。


ううむ。日本人は人名についても「敬称」あるいは最低限、「肩書」で“包装”しないと、気持ちが落ち着かないみたいだ。