「とある中国人です」さんに対する説明

前にお伝えした通り、私のブログや記事について説明します。


まず、先日掲載した


http://kisaragihayato.com/369


についてです。


ご指摘はされませんでしたが見出しの部分について、説明します。「あ。あ。あ。やっちまった。やっちまったよう」としました。まあ、ふざけた書き方であるのは事実ですが、一方的に中国の報道を貶めたつもりはありません。これ、私にとっても、ものすごく「恐い」ことなのですよ。


記事づくりは、ミスとの戦いです。間違の原因にはいくつかの典型がありますが、「思い込み」はそのひとつ。地名については、「それは知っている」と思っても確認せねばならないのですが、つい忘れることもある。そして、「忘れた時にかぎって」と言ってよいほど失敗する。


私にもあります。広西チワン族自治区の政府所在地を「南昌」と書いたり、「青海省集寧市」と書いてみたり。この記事を担当した記者や編集者が間違いに気づいた時の気持ちは、手に取るように分かる。


「やばい」、「恥ずかしい」、「情けない」といった感情のごった煮みたいなもんです。(あ。ここで「誤字」のことを指摘されそうだ。キビシイなあ)

他人ごとには思えない。「やっちまったよう」というのは、私自身の呻きみたいなものでもあります。


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次に、写真掲載ですが、私も「ちょっと意地悪いかな」と考えました。通常ならば、URLを書いておくだけですから。ただ、インターネットの特性で、間違いに気づいたら修正もできる。そうなれば、私のブログを読む人は、私が何を伝えたいのか、ワケがわからなくなる。


ということで、あえて写真を掲載することにしました。


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さて、ここからが一番、本質的な問題なのですが、例えば私がよく書いている「爆発記事」とか「それっ」シリーズのことです。


まず、大前提ですが、私は日本と中国が「上手につきあった方が、互いに楽だし得だ」と考えています。これは、先日のReにも書きました。この場合、「正しい、正しくない」や善悪という判断は、できるだけ除外した方がよいと考えています。


なぜならば、「善悪」の尺度には「どの社会にも共通しているもの」と、「共通していない部分」があるからです。「確固たる理由なしに、他人を殺してはいけない」とか、「自分の子を社会に適応できるように育てる」といった考え方は、どの社会にもほぼ共通しています。


しかし、例えばイスラム教を国教としていて、他の宗教を信じる人が全くいない国で、「多くの聖者、聖人の像を作り拝んだ」としたら、「とんでもない反逆者」ということになります。一方、仏教国では、それが当たり前であり、尊い行為とされています。


宗教は極端な例ですが、善悪とは個人、あるいは集団が持つ価値観ですから、互いに矛盾して対立した場合には、収集がつかなくなりがちです。ですから、価値観が異なる、あるいは異なる可能性がある他者と付き合うときには、「善悪の問題」はなるべく避けて通り、「互いに楽だし得だ」という共通目的を主に追求した方が、よい結果を得られるというのが、私の考えです。


もちろん、自分と相手だけが「楽であり得である」ということだけを目的にしたのでは、第三者にとって不利益になる場合もあります。そのあたりは、さらに第三者も考慮に入れて「皆が楽だし得だ」ということを目指さねばなりません。


まあ、中国が外交で一貫させている平和五原則も、そういう側面が強いと思います。「内政不干渉」は、相互に相手の国の価値観を尊重するということですから。ただ、中国が特定の国と親密になったという事実そのものが、別の国の利益をそこなうとなれば、国際的な反発も出てくるわけで、平和五原則を適用すれば、それだけで問題ないということにはなりません。


例によって、私の話は長いなあ。次に、日本人と中国人の「精神上の問題」について論じます。


まず、率直に言って、現在の日本人には、極端に言えば「中国人恐怖症」があると思います。その原因は、過去100年以上にわたって、日本の方が中国よりも「先に進んでいた」ことと考えています。なぜ日本の方が先に進めたかという理由についてもいろいろと分析できるのですが、長くなるので、ここでは触れません。


中国は大きな国です。日本も実は、例えば人口約1億3000万人は世界で第10位と、かなり規模が大きな国ですが、それにしても、中国は圧倒的に大きい。こう書くと、Yahoo!のコメント欄では「少数民族地域は中国が侵略した土地だ」なんて声が出てくるのですが、ここでは、今の議論の本質に関係ないので触れません。


さて、東アジアにおける近代化の歴史とは、それまで中国を中心にした「中華の価値観」が外来の勢力によって崩れていった歴史と表現できます。この新しい「力の秩序」の形成に、日本は早く対応することができた。中国は遅れた。中国人にとって失礼な言い方とは思いますが、これは事実として「とある中国人です」さんにも認めていただけると思います。


とにかく、東アジアは、欧米列強を含めた「力と力がぶつかる世界」になりました。ここでは、「日本による侵略の問題」については触れません。「嫌だから避ける」のではなく、今、私が論じたいことと別系統の議論になってしまうからと、理解してください。


さて、日本は、中国より「優位」に近代史を展開することが
できました。「力と力がぶつかる世界」にあって、自分よりはるかに大きな国である中国が「遅れた状態」にとどまっていたことは、日本人にとっては、「中国の脅威を心配しなくてよい」ということで、その意味では実に「楽な気持ちで過ごす」ことができたわけです。


第二次世界大戦終結以降、正確にいえば1949年以降、国際社会における中国の発言力が飛躍的に強くなりました。軍事力も大いに増大しました。しかし、日米安保条約のおかげで、日本は中国と「直面」することなく過ごすことができました。


いや、一般の日本人にとっては、「中国との対決」は、想定する必要すらありませんでした。米国との関係を大切にして、経済や科学技術の向上に専念していればよかった。これは日本にとって、非常に「楽な」状況でした。


ただ、「いくらなんでも、近隣の大国である中国と国交がなく、冷たい対立状態であるのは不自然だ」という国民の声が高まったこともあり、日本と中国は1972年に国交を正常化しました。


中国は経済面で非常に遅れていた。技術面でもそうです。そこで1978年に結んだ日中平和友好条約で、日本はODAなどの形で中国に協力することになりました。


中国としては、戦争についての賠償ではなく「新しい時代にふさわしい、日本から中国への協力」という形式にすることで、「日本に面子を与えた」ということになります。日中ともに政権担当者は、公式にはそのようなことを言っていませんが、自然にみれば明らかだと思います。


日本にはもうひとつ、「安全保障」という観点がありました。対中ODAで、日本でよく言われるのが「核ミサイルを持って日本を攻撃できる国に、なぜ経済援助をせねばならないのか」という主張です。


当時の対中政策にかかわった人に聞いて見たところ、「中国が国際的に孤立していることが、日本にとって最大の脅威」との考えがあったそうです。つまり、当時の中国は文化大革命が終わった直後であり、再び同じような状況が出現することも考えねばならなかった。


そこで日本側には、中国に国際社会と連携している方が「得」だと、納得してもらうと言う発想があったそうです。「孤立した中国が核兵器を持っているより、対話が可能な中国が核兵器を持っている方が、日本にとっては好ましい」と考えたわけです。


つまり、日本による対中ODAには、「中国の国際回帰を促進する」という日本の国家戦略があった。一方の中国は、とくかく近代化を進めたかった。双方が現実を見据えた上で「互いにより楽だし得」という方策を選択したと、私は評価しています。


話がますます長くなりましたが、対中ODAを始めてから1990年代前半までの日本人の意識には、自らの税金を他国に投入することについてそれほどの反発はありませんでした。まず第1の理由として「日本は戦争で中国に大きな被害を与えた。だから、経済を立て直そうとしている中国を支援するのは当然」という気持ちがありました。


しかし、日本人の心の底には「中国が経済や科学技術で、日本でそう簡単に追いつけるわけがない」という安心感もありました。そうですね。小学校や中学校で、成績の良い生徒が、遅れている生徒に勉強を教えたりする気持ちに似ていたかも知れません。


私の見るところ、日本人の中国に対する気持ちに明らかな変化が生じたのは、2000年以降です。特に、中国がGDPで日本を抜いたころからでしょうか。今までの「日本の方が中国より進んでいる」と、簡単には言えない状況になってきたからです。


中国人はよく「わが国の発展を他国が嫉妬している」と言いますが、私に言わせれば、嫉妬ではなく「恐怖感」です。

ただ、私はちょっと違う考えを持っています。「中国が順調に進歩していること自体に、それほどの恐怖感を感じる必要はあるのか?」と。むしろ、「中国が発展しない方が、日本にとってはよくない状況」との考えです。


要するに、人口が日本の10倍もある中国が、いつまでも停滞していると仮定すれば、例えばいつまでも日本よりもGDPが低い状態であったとすれば、むしろその方が日本にとっては恐ろしい事態なのですけどね。


先ほども同様のことを書きましたが。人口が日本の10倍である中国が、GDPで日本に追いつけないようでは、中国が極めてよくない状態であり、ということは不安定だということです。それでは困る。


私としては、かなり長い時間がかかったとしても、中国のGDPは日本の6、7倍か、それよりもう少し大きな状態になるのが理想と考えています。


人口比である10倍ではなく6、7倍としたのは、内陸部が大きな中国では、日本と同様の経済の効率は困難と考えているからです。中国人や中国人社会の「素質問題」は、今は問題ですが、将来も本質的な障害になるとは思っていません。


ただ、多くの日本人は、中国の成長を「不気味」に思っています。日本人は中国が恐くなってきた。率直に申し上げますが、これは中国の側の問題も大きい。


たとえば「経済を成長させるぞ!」と決意して努力したのはよいのですが、日本の往時と比べても格段にひどい環境汚染を発生させる。貧富の格差はどんどん広がる。自らの憲法で保障されているはずの権利が、侵害される。


領土問題についても――これには、私は多くの日本人と少々違う考えがあるのですが、ここでは触れません――強硬な姿勢が目立ち、軍事的にも拡張をつづける。


こういうさまざまな要因が複合して、今の日本人は中国に対して、自分自身は意識していないにしろ、かなり強い恐怖感を持っている。これが私の見立てで
す。


ならば、私の立場として、何ができるか。そこで、「爆発記事」や「それっ」シリーズなどを始めたということです。


繰り返しますが、中国をよく知らない日本人にとって、中国人は「ありとあらゆる方法を使い、冷酷無慈悲にひたすら利益の拡大を目指して邁進する」存在です。いわば「宇宙人」みたいに見えているわけです。


そこで、中国社会の未熟な面や、中国人の「お間抜け」な面を取り上げることにしました。たいていの人は、自分自身に劣っている部分があり、「お間抜け」な面があることを分かっていますよね。子どものころから現在に至るまで、思い出すだけで汗が出るほど恥ずかしい経験がいくつもあるはずです。


人とは、他人が起こした「間抜けな失敗」を知ると、「まあ、人間だから、失敗もあるかな」と思い、相手をかえって冷静に見られるようになることがあります。私が狙っているのもそこです。


話は少し変わりますが、日本では過去に何度も、中国国内におけるいわゆる、「反日デモ」の映像や写真が紹介されました。憎しみや怒りに顔をゆがませて、破壊活動をする中国人の姿に、日本人は衝撃を受けました。そして、嫌悪感や恐怖感を感じました。


仮に主張が正しいとしても、憎しみや怒りの表情は、美しいとは言えません。「中国人がいつも、あのような表情をして、あのような行動をする」と日本人が思い込んでしまったのでは、日本人と中国人の双方にとって、極めて大きな損失です。


ですから、さまざまな「突発事態」にあわてて、おびえる中国人の姿を紹介するようにしました。それを見た日本人の多くは「なにやってんだよ」とあきれながらも、中国人に対する「必要以上の恐怖感」を、多少なりとも解消できるはずです。


「それっ」シリーズについては、もう少し微妙な面もあります。ただ、目の前に「ただで手に入れられる」ものがあれば心が動いてしまうのは、日本人も中国人も同じです。いや、どの国の人でも同じでしょう。記事を読んだ多くの日本人は「気持ちは分からなくはないけど、ダメじゃん」と思うはずです。


私は、読者の心に生じるであろう「気持ちは分からなくはないけど……」の部分を重視しています。いずれにせよ、中国人に対する「恐怖感」が低減する効果はあると信じています。


ただし、「それっ」シリーズについては、私の意図を伝えるのに、もう少し工夫の余地がると思っています。今、「とある中国人です」さんに向けたこの文章を書いていて、「工夫の余地」を強く感じるようになりました。今後は、改めていろいろな書き方を試していこうと思います。


「とある中国人です」さんはもしかしたら、私の記事に「おもしろさ」が過剰だと思っているかもしれません。実は、これも私の作戦のひとつです。中国人に対する不信感や恐怖感を前提とするのではなく、とにかく面白く読んでほしい。私の記事を気にいってもらえれば、それから後も読者に探してもらえる可能性が高まると考えているからです。


「爆発記事」について言えば、Yahoo!のコメント欄に、「人が死ななかったことはよかった」とする書き込みが圧倒的に多いことに、満足しています。中国における安全の問題で呆れ、批判しても、「人が死ぬような事態は望んでいない」という感覚が反映されているからです。


中国や中国人に不満や反発を持っていたとしても、一般の中国人が命を奪われるようなことは望んでいない。これは、健全な気持ちだと思うのですが、どうでしょう。


日本人は、中国のよい所も悪い所も両方を知った方がよい。「中国はまだ未熟だけど、現実の中国人はいろいろと苦労しながら、一生懸命に生きているのだなあ」と日本人読者に思ってもらえれば、私の目的は達成されたことになります。


最後になりますが、以前にこのブログで紹介したことを、改めて報告します。


http://kisaragihayato.com/267
本日は感動してしまった。うれしかった


です。


中国の囲碁界に大きな貢献をした陳祖徳氏が死去した記事を書いたところ、コメント欄には中国に対する悪口がひとつもなく、哀悼の意を示す書き込みだけが並びました。


日本と中国は「互いに楽だし得だ」という関係を理想としても、なかなか上手くいかないこともたくさんあります。だから、互いに怒ったりすることもあるでしょう。それが現実です。


ただし、対立点は対立点として、互いに認めるべきことは認め、相手の慶事には「よかったですね」と言え、悲しいことにはお悔やみを言う。そういう、「大人の関係」を目指したいと思っています。