東アジア今日は何の日:9月2日~日本が降伏、第二次世界大戦が終結(1948年)

1945年9月2日、東京湾横須賀沖に停泊する米海軍の戦艦ミズーリ上で、日本側と連合国側による休戦協定文書への署名が行われた。同協定により日本の降伏が最終確定した。「終戦の日付」については各種の考え方があるが、多くの国では同日をもって第二次世界大戦が終結したと理解されている。
 
日本側は政府を代表する重光葵外相と大本営を代表する梅津美治郎参謀総長が署名した。連合国側は連合軍のダグラス・マッカーサー最高司令官が署名し、さらに米国のチェスター・ニミッツ、中華民国の徐永昌、英国のブルース・フレーザー、ソ連のクズマ・デレヴャーンコ、オーストラリアのトーマス・ブレイミーらが続けて署名した。
 
文書は、日本軍全軍の無条件降伏、日本軍と日本国民の連合軍への敵対行為を中止すること、公務員と陸海軍職員は連合国最高司令官の命令や指示に服従し、かつ非戦闘任務の継続すること、連合国最高司令官による日本の国家統治の制限、捕虜になった連合国将兵の即時解放などの内容を含んでいた。
 
マッカーサーの演説に始まった署名式典は約23分間で、その模様は全世界にラジオ中継された。休戦協定の発効を受け、昭和天皇は「降伏文書調印に関する詔書」を発し、全国民に対して連合軍に対する敵対敵対行為の即時停止、降伏文書(休戦協定文書)及び帝国政府と大本営による命令の誠実な履行を命じた。
 
戦争状態の終結とはさまざまな段階を経て進行するものであり、それぞれの戦争でも状況は異なる。米国や連合国の多くは、9月2日を対日戦勝利の日としている。ただし英国は8月15日としている。
 
ソ連は、文書署名の翌日の9月3日に戦勝記念式典を開催したことにちなみ、9月3日を対日戦勝利の日とした。ロシアもソ連が定めた対日戦勝利の日を踏襲した。中華人民共和国も対日戦勝利の日を9月3日としている。
 
なお、8月9日に対日戦を開始したソ連軍は日本が正式にポツダム宣言の受諾を連合国側に通告した8月14日以降も満洲や樺太、千島列島などでの侵攻を続け、日本軍との激しい戦闘が発生した。
 
中華民国も1945年9月3日から3日間を対日戦勝利の休暇としたことを反映して、9月3日を対日戦勝利の日としている。また、台湾では現在も9月3日を軍人節(軍人記念日)としている。
 
ただし、台湾光復節(台湾の日本統治からの解放記念日)は、1945年に大陸から進駐した中国軍部隊に対する日本軍の投降式典が開かれた10月25日としている。
 
【1945年のその他の出来事】
・米軍がルソン島に上陸(1月)
・バルジの戦い終結、ドイツ軍最後の大規模反攻が失敗(2月)
・ヤルタ会談、米ソ英中首脳が対日戦について協議(2月)
・米軍が硫黄島上陸(2月)
・米軍による東京大空襲、死者10万人(3月)
・沖縄戦(3~6月)
・戦艦大和が沈没(4月)
・小磯内閣総辞職、鈴木貫太郎内閣が成立(4月)
・米ルーズベルト大統領が急死、トルーマン副大統領が昇格(4月)
・ムソリーニが銃殺される(4月)
・ヒトラー自殺(4月)
・ドイツが降伏(5月)
・国連憲章が締結される(6月)
・広島、長崎への原爆投下(8月)
・ソ連が満洲国に侵攻、対日戦開始(8月)
・日本がポツダム宣言受け入れを決定(8月)
・マッカーサーが厚木飛行場に到着(8月)
・東京湾に停泊する米戦艦ミズーリ艦上で日本代表が降伏文書に署名(9月)
・ソ連軍が歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島を占領(9月)
・復員船第1号が別府に到着(9月)
・中華民国軍と官僚が台湾に上陸(10月)
・中国で国共内戦が始まる(10月)
・日本社会党結成(11月)
・日本自由党結成(11月)
・日本進歩党結成(11月)
・衆議院議員法選挙法を改正、婦人参政権が認められる(12月)
(編集担当:如月隼人)

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