東アジア今日は何の日:9月3日~中ロが互いに核兵器の標的から外すことで合意(1994年)

1994年9月3日、ロシアのエリツィン大統領と中国の江沢民国家主席の署名による中ロ共同宣言が発表された。同声明は両国の善隣友好関係を促進することを強調し、軍事面では互いに核兵器の標的から外して使用しないこと、特に先制使用はしないことを明記した。
 
中ソは1960年代から対立を激化させ、かなり大規模な武力衝突も起こした(珍宝島の戦い)。対立の原因は複雑だが、大きなきっかけの一つはソ連が1953年3月スターリンの死去以降、個人崇拝を含むスターリン主義を否定したことだった。中国にとって個人崇拝の否定は毛沢東の威信を否定することにつながり、容認することができなかった。
 
また中国は、ソ連が米国とのデタント(緊張緩和)を進めたことも、認めることはできなかった。中国はソ連を「修正主義」、ソ連は中国を「教条主義」と罵る状態が続いた。
 
1970年代末までに中国の「最高実力者」になった鄧小平は、文革などで疲弊した中国経済を改革開放などで立て直すことを急務とした。長大な中ソ国境地帯に軍隊を貼りつかせておくことは、中国にとって負担があまりにも大きいと考えられるようになった。
 
一方のソ連にとっても、軍事力の維持はあまりにも大きな負担だった。1985年にソ連共産党書記長に就任したゴルバチョフはペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を断行し、東欧の民主化革命も容認して冷戦を終結させた。
 
中ソ双方は関係改善を模索しはじめた。ゴルバチョフ書記長は1986年のウラジオストク演説に中ソ関係の改善に取り組むことも盛り込んだ。さらに、1989年5月には北京を訪問。両国の関係改善は決定的になった。
 
ソ連では、1991年の8月クーデターなどもあり、ゴルバチョフとソ連共産党の権威が致命的に低下。同年内にはゴルバチョフのライバルだったエリツィンがソ連邦を構成する各共和国に連邦脱退を進めたことにより、ソ連は年末には崩壊した。
 
1994年の江沢民主席のロシア訪問は、ソ連崩壊後初の、中国指導者の訪ロだった。双方は共同声明で「21世紀に向けて、高い戦略性に立ち、対抗せず、同盟を結ばず、第三国を対象としない協力関係を設立」などとも宣言した。
 
ただし、中ロ双方は実際には、米国など西側諸国を意識しつつ関係を構築することになった。ただし、「米国を意識」が「米国への対抗」に直接につながったわけではない。
 
例えば中国の江沢民主席は米国との関係強化に力を入れた。コソボ紛争時の米軍機による中国大使館爆撃事件や海南島事件など両国の関係が極めて緊張する局面もあったが、2011年9月11日に米国で同時多発テロが発生すると、江沢民は米国に対していち早く哀悼の意を表明するなどで関係改善を図った。
 
米国のブッシュ大統領も対米協調に進む中国を歓迎し、中国を「責任ある利害共有者」(ブッシュ大統領)などと評するようになった。
 
中国とロシアによる米国への対応の典型例の一つが、上海協力機構の設立だ。同機構の参加国は中国、ロシア、カザフスタン、キルギス、タジクスタン、ウズベキスタン、インド、パキスタンの8カ国。テロ対策なども目的にしているが、共同軍事演習を繰り返しており、中央アジアなどへの影響力の維持あるいは強化という、米国が同地域、特に中央アジア諸国への影響力を強めることを牽制する目的があると見られている。
 
中ロ両国は2008年には係争地についても国境線を確定し、領土を巡る争いという対立要因を消滅させた。
 
【1994年のその他の出来事】
・H-IIロケット1号機の打ち上げが成功(2月)
・ルワンダで集団虐殺が始まる、約100日間で100万人殺害。(4月)
・台湾・中華航空機が名古屋空港で着陸失敗、264人死亡。(4月)
・レーサーのアイルトン・セナがレース中の事故で死亡(5月)
・ネルソン・マンデラが南アフリカ初の黒人大統領に就任(5月)
・オウム真理教による松本サリン事件発生(6月)
・北朝鮮・金日成主席が死去(7月)
・英国・アンドリュー・ワイルズがフェルマーの最終定理を証明(10月)
・第一次チェチェン紛争が勃発(12月)
(編集担当:如月隼人)

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