東アジア今日は何の日:9月8日~サンフランシスコ条約締結、日本が主権回復へ(1951年)

 
米国サンフランシスコ市内の戦争記念オペラハウスで1951年9月8日、日本と米国など連合国諸国の間で、「日本との平和条約」が締結された。同条約が1952年4月28日に発効したことで、日本は主権をほぼ回復した。同条約はサンフランシスコ条約、サンフランシスコ平和条約などと通称される。写真は同条約に署名する吉田茂首相。
 
同条約は戦後の日本の領土も確定するものだった。日本は朝鮮の独立を承認し、台湾・澎湖諸島、千島列島と南樺太、新南諸島(スプラトリー諸島、南沙諸島)、西沙諸島(パラセル諸島)については権利・権原・請求権を放棄した。
 
また、国際連盟の委任統治領だった南洋諸島についても権利・権原・請求権を放棄した。
 
南西諸島(琉球諸島、大東諸島など)、南方諸島(小笠原諸島)などについては、米国から「自国の信託統治領とする」との提案があれば、日本は同意することも盛り込まれた。奄美諸島が日本に返還されたのは1953年、小笠原諸島の返還は1968年、沖縄諸島の返還は1972年になった。
 
サンフランシスコ平和条約には1900年に始まった「義和団の乱」についての講和文書である北京議定書に由来する日本の中国における利権なども放棄することも盛り込まれた。
 
同条約は、サンフランシスコで「平和会議」を開催し、その締めくくりとして締結される段取りになっていた。米国と英国は共同で、1951年7月20日付で日本を含む50カ国に平和会議への招待状を発送した。米国は日本政府に対して事前に会議出席への確約を求めたという。
 
同条約で特に問題になったのは中国の代表権だった。連合国の一員として日本と戦ったのは中華民国だったが、中華民国政府は国共内戦に敗北したことで、すでに台湾に撤退。大陸側では1949年10月1日に中華人民共和国が成立を宣言していた。
 
米国は中華人民共和国を承認しておらず、中華民国代表だけの会議出席を要求した。英国は1950年1月6日に中華人民共和国を承認していた。英国は中国と外交関係を結ばなかったが、中華民国は英国との国交断絶を宣言していた。英国は中華人民共和国と中華民国の双方を平和会議に招待することを主張した。
 
米国と英国は中国の招待について折り合いがつかず、日中間の講和についてはサンフランシスコ条約の締結後に、日本の選択にゆだねることにした。日本と中華民国は1952年4月に、日本と中華民国との間の平和条約(日華条約)を締結し、戦争状態を終結させた。
 
韓国は米国などに対して、平和会議への参加と条約署名国になることを認めるよう、繰り返し要求した。米国のダレス国務長官補が1951年7月9日、韓国に対して最終的に「韓国は日本と戦争状態にあったことはなく、連合国共同宣言にも署名していない」ことを理由に、韓国が条約署名国になれないことを通知した。
 
ソ連は平和会議に出席したが署名しなかった。日本とソ連は1956年10月に締結された日ソ共同宣言で、戦争状態の終結と外交関係の回復を決めた。
 
【1951年のその他の出来事】
・三共が日本初の総合感冒薬「ルル」を発売(2月)
・日本コロムビアが日本初のLPレコードを発売(3月)
・マッカーサーがGHQ最高司令官を解任される(4月)
・ボストンマラソンで日本初参加の田中茂樹が優勝(4月)
・ユネスコが日本の正式加盟を承認(6月)
・日本航空が設立される(特殊会社としての日本航空に先行する旧会社)(8月)
・日本初の民放ラジオ局、中部日本放送と新日本放送が開局(9月)
・サンフランシスコ平和条約を締結(9月)
・日米安全保障条約を締結(9月)
・力道山がプロレス・デビュー(10月)
・朝日放送(ABCラジオ)が開局(11月)
・毎日小学生新聞大阪版が藤子不二雄デビュー作「天使の玉ちゃん」連載を開始(12月)
・リビアがイタリアから独立(12月)
・ラジオ東京(TBSラジオ)が開局(12月)
(編集担当:如月隼人)

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