東アジア今日は何の日:9月17日~「中華人民共和国」の国名が最終決定(1949年)

 
日中戦争が終結してから1年にも満たない1946年6月に本格化した国共内戦は、共産党側が1949年1月までに同内戦の三大戦役と呼ばれる遼瀋戦役、淮海戦役、平津戦役にいずれも圧倒的に勝利したことで、共産党側の優勢は動かなくなった。
 
49年春以降も、共産党は南京(4月23日)、漢口(5月16日)、西安(5月20日)、上海(5月27日)、青島(6月12日)と、主要都市を次々に占領していった。
 
蒋介石が率いる「中華民国」を駆逐した後には、それまでの「中華民国」の国名を変更させることが事実上の了解事項になっていた。新たな国名としては「中華ソビエト共和国」「中華人民共和国」「中華民主共和国」などのさまざまなアイデアがあった。
 
6月15日には、政治協商会議の設立準備会が始まった。この場合の「協商」とは日本語の「協議」に相当する語で、「新中国」は共産党を中心とするが、共産党に協力的だったその他の党派も参加することになっていた。政治協商会議は「新中国」の国家運営の中核的機関になるはずだった(実際には共産党の独裁体制が強化され、政治に対する諮問機関の立場に留まることになった)。
 
会議に出席した毛沢東は演説で「過去に、中華民国は(国名と実態という)名実が伴わなかった。われわれは現在、名実の伴う中華人民民主共和国を設立せねばならない」「中華人民民主共和国万歳!」などと述べた。
 
毛沢東の発言などにより「新中国」の国名として「中華人民民主共和国」が優勢になった。しかしその後、「『中華人民民主共和国』では略称が『中華民国』になってしまう」「『中華人民民主共和国』では長すぎる」などの異論が出た。その後、「中華人民民主国」を主張する意見も出た。
 
さらに、中国語で使う「共和国」は英語の“Republic”を訳したものでり、「民主」は“Democracy”の訳語で、“Republic”と“Democracy”は本質的に同じなので重複を避ければよいとして、「中華人民共和国」を主張する声も出た。その後、毛沢東や周恩来も「中華人民共和国」の国名を支持するようになった。
 
さらに、国名の設定と同時に考えねばならないことがあった。少数民族地域の扱いだ。当時、社会主義国家の「手本」とされていたソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)は、ロシア以外の地域に共和国を設定し、国全体としては「連邦」とする方式を採用していた。
 
周恩来は、「少数民族も中華人民共和国に含める」「統一国家の内部で民族区域の自治制度を実施する」として、国
名に「連邦」の語は含めないと主張した。
 
9月17日に開催された政治協商会議の設立準備会で、「新中国」の国名を「中華人民共和国」とすることが、正式に採択された。
 
なお、中国が「連邦制」を採用しなかったことは、少数民族の「自決権」を認めなかったことを意味する。ソ連の場合には、憲法で連邦を構成する共和国について連邦から離脱する権利を認めていた。具体的な手続き方法を定める法律がないなどの問題はあったが、1991年にはウクライナ、ロシア、ベラルーシなど各共和国が憲法を理由に離脱を決めて、連邦が崩壊した。
 
中国については1911年の辛亥革命で、各省が清からの独立を宣言することで、清朝による統一体制が崩壊した。さらに中華民国の成立後も事実上の分裂時代が長く続いた。中華人民共和国を発足させるにあたっては、強力な統一体制を目指したとも考えられる。
 
【1949年のその他の出来事】
・法隆寺金堂の壁画が焼失(1月)
・中国人民解放軍が北京に入城(1月)
・大阪で「スポーツニッポン」が創刊(2月)
・学制改革により東京物理学校が東京理科大学になる(4月)
・中国人民解放軍が中華民国首都の南京を占領(4月)
・中華民国が台湾全体に戒厳を施行(5月)
・ドイツ連邦共和国(西ドイツ)政府が発足(5月)
・北朝鮮労働が南朝鮮労働党を事実上の吸収、朝鮮労働党に(6月)
・英国で映画「第三の男」を公開(9月)
・ソ連がカザフスタンのセミパラチンスクで初の原爆実験(8月)
・中華人民共和国が成立(10月)
・ドイツ民主共和国(東ドイツ)が発足(10月)
・京都市内で和江商事株式会社(現、ワコール)創立(10月)
・お年玉付き年賀はがきが登場(12月)
・湯川秀樹が日本人として初めてノーベル賞(物理学賞)を受賞(12月)
・韓国軍が共産勢力に協力したなどとして非武装の住人88人を殺害(聞慶虐殺事件)(12月)
(編集担当:如月隼人)

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