東アジア今日は何の日:9月20日~中華人民共和国初の憲法を採択、共産党の独裁を強化(1954年)

第1期全国人民代表大会の第1次会議に1954年9月20日、中華人民共和国初の「憲法」を採択された。この、いわゆる「54年憲法」により、中国建国時点からの理念だった人民民主統一戦線体制と事実上決別し、共産党の独裁が強化されることになった。
 
蒋介石が率いる国民党との国共内戦を実際に戦ったのは共産党だったが、共産党は蒋介石に反対する党派と協調する「人民民主統一戦線」の方法を採択した。中国共産党との協力関係を保ち、中華人民共和国の建国にも関わった政党は中国国民党革命委員会、中国民主同盟、中国民主建国会、中国民主促進会、中国農工民主党、中国致公党、九三学社、台湾民主自治同盟の8党だった。うち、中国国民党革命委員会は蒋介石と対立した国民党左派だった。
 
共産党と八大党派は1949年4月21日、中国人民政治協商会議共同綱領を採択した。この場合の「協商」は日本語の「協議」に相当する語だ。つまり「中国人民政治協商会議」は各党派の協議により国の運営を決定する機関で、「共同綱領」は新中国の憲法に相当する文書だった。
 
同綱領は、「封建主義と官僚資本主義による中国の統治は終結し、人民民主共和国が樹立された」と宣言。さらに、政権については「中国の人民民主専制とは労働者、農民階級、小資本家階級、民族資産階級、その他の愛国分子による人民民主統一戦線」と規定した。
 
中国共産党も当初は、急速な社会主義化は実施しない方針を示していた。つまり、資本家でも中華人民共和国の建設に協力的ならば立場を認め、資本家らと共に中国経済を建設していく方針だった。海外華僑の支援も歓迎していた。
 
しかし毛沢東は建国間もない1950年代初期から、急速な社会主義化に方針を転換した。「54年憲法」にも、毛沢東の方針転換が反映されることになった。例えば、同憲法では、「わが国人民は過去数年間、土地改革、抗米援朝(朝鮮戦争参戦)、反革命分子の鎮圧、国民経済回復などの大規模な闘争を勝利をもって進め、計画的な経済建設の進行と、徐々に社会主義に移行する必要な条件を準備した」と、「綱領」にはなかった「社会主義への移行」の文言が盛り込まれた。
 
また、49年の「共同綱領」は国家の体制を規定する部分を「労働者階級が指導し、労働者と農民の連盟を基礎とし、各民主階級と国内の各民族が団結する人民民主専制」としていたが、「54年憲法」では「労働者階級が指導し、労働者と農民の連盟を基礎とする人民民主国家」とされ、国家運営のために「団結する」とされた勢力から、資本家を示す語は排除された。
 
「54年憲法」はさらに、生産財などの所有について「国家は法律にもとづき資本家の生産財の所有権とその他の資本の所有権を保護する」と各一方で、「資本家による所有制を徐々に、全民所有制(=国有制)に代えていく」と、完全な社会主義化を目指す条文も盛り込んだ。
 
なお、民間企業の接収も伴う社会主義化は、現在の視点からすれば「経済法則を無視した暴挙」ということになるが、当時は社会主義の「大先輩国」だったソ連が、経済や技術開発で大きな成果を上げていことになるが、当時は「世界初の社会主義国」であるソ連が、相当に大きな成果を上げていたことは見逃せない。
 
ソ連は第二次世界大戦中、戦車などの生産でナチス・ドイツを圧倒して勝利。米国の武器援助も受けていたが、ソ連自身の工業力が相当に充実していることは明らかだった。ソ連は戦後も重工業の建設で大きな成果を出していた。技術面でも1957年に世界初の人工衛星「スプートニク1号」を打ち上げるなどしており、当時は客観的にみて、「資本主義と社会主義のどちらが優秀か」との問いに、答えが出ていない状態だった。
 
【1954年のその他の出来事】
・地下鉄丸の内線が開業、池袋-お茶ノ水間(1月)
・第五福竜丸が米国水爆実験で「死の灰」浴びる(3月)
・明治製菓が日本初の缶入りジュース発売(4月)
・武田薬品がアリナミン糖衣錠を発売(3月)
・ソ連・オブニンスクで世界初の商用原発が稼働(6月)
・自衛隊が発足(7月)
・中国海軍が初の駆逐艦大隊を設立(7月)
・洞爺丸沈没、死者・行方不明者1155人の日本海難史最大の惨事(9月)
・東宝映画「ゴジラ」公開(11月)
(編集担当:如月隼人)

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