ここはひとつ、愚痴らせてください~内モンゴル音楽の最上級の資料のはずなのに

このところ、手持ちの民族音楽のCDのPCへの取り込みを続けているのですが、そのなかでも「超貴重資料」の取り込みに着手しました。

「オルドス民歌経典」という資料。CD12枚と分厚い楽譜+歌詞集のセット商品です。かなりしっかりしたボックスに入っている。オルドスというのは内モンゴルの南部の一地域で、この比較的狭い地域の民謡だけで、285曲を収録したと書いている。

内モンゴルでは、それまで地方ごとに分類して民謡を500曲集めた楽譜集とか、1000曲を集めた楽譜集が出版されていますが、音響資料はありませんでした。その作業に関係した先生に話を伺ったところ、1970年代から80年代初頭という、資金も資材もなかった時代の作業だったので、各地で民謡を聞き取って楽譜と歌詞を記録したのですが、予算がないので録音テープは使いまわしだった。つまり、いったん録音しても、次の曲を取材する際に、「上書き」してしまったとのこと。もったいないことしたなあ。外国の研究者に相談したら、自腹切ってよいから、録音を全部保存してほしいと申し出た人は絶対にいたはずだ。

それはともかく、録音資料付きで「オルドス民歌経典」が発行されたのは画期的なことです。編纂を行ったのは内モンゴル大学。2001年の発行で、私が入手したのは10年ぐらい前だったかな。ひととおりざっと聴いたのですが、その後は他のCDに埋もれさせてしまい、取り出すことはなかった。

改めて確認すると、演奏/演唱はオルドス歌舞劇院に所属する音楽家。プロによる演奏ということは、鑑賞価値は別として、研究用の資料価値は下がってしまう。ただ、どの曲も1980年代中盤ごろまでの演奏スタイルです。その後はメロディーをずいぶんいじったり電子楽器を取り入れるなんかで、演奏スタイルを大きく変更することが増えました。

伝統の担い手の当の本人であるモンゴル人が、いろいろと試すことは、当然のことです。音楽を含めての芸能の伝承というものは、時代、時代に工夫が加えられて後世に伝えられていくものです。ただ、外部の聞き手としては、洋楽風にアレンジされたり電子楽器を入れた演奏を聴きたいわけじゃない。モンゴル人が歴史を通じて残してきた音楽伝統に接したいわけですから。

その点、「オルドス民歌経典」は十分に水準に達している。さらによいのは、オルドス歌舞劇院が演奏を担当していることです。地元の音楽の伝統をしっかりと身に着けた音楽家が演じているわけです。

と、これまでは「オルドス民歌経典」を絶賛したのですが、昨晩にPCへの取り込みを開始して、大変なことに気づいた。CDに曲目の一覧がついていないのです。しかも、CDには音声情報しか記録されていないらしく、PCででは「アルバム情報なし」と表示される。楽譜集の順かなあと思って調べてみましたが、そうなっていない。

本日になって、「もしかしたら、別紙であるのかな」と思ってボックスの中を探してみましたが、ありません。なにしろ285曲もあるので、楽譜を頼りに曲目を特定しようとしても、膨大な手間がかかる。絶望的。

ちなみに、楽譜には五線譜もつけられています。なぜ、このように特記するかというと、中国の民族音楽では「簡譜」と呼ばれる数字を使った譜面を使うことが主流なのです。

この「簡譜」の歴史はとても面白い。最初に考案したのは、フランスのジャン・ジャック・ルソー
。思想家として知られている人で、音楽家としても活動しました。ちなみに、童謡の「むすんでひらいて」はもともと、ルソーが作曲したオペラの中の一曲です。

さて、ルソーは音楽教育を普及させるために、数字を使って音を表す譜面を考案しました。五線譜の場合、「五線」を書く作業は、とても面倒です。印刷済の「五線紙」は、値段が高い。数字を使った譜面なら、白紙に書いていけますからね。

このルソーの数字譜を採用して改良したのはプロシア(ドイツ)でした。それを明治期初頭の日本政府が採用。その数字譜が中国に伝わったわけです。中国では、「簡単に使える楽譜」という意味でしょうか、「簡譜」と呼ばれるようになりました。

この数字譜は原理がとても簡単なので、すぐに慣れることができます。また、五線譜とも一対一に対応できます。ただ、五線譜に慣れた人がみるとギョッとしてしまう。本当は簡単に習得できるのに拒絶感が先立ってしまいます。

日本では、この数字譜が使われることが少なくなってしまいましたが、中国では音楽教育で「簡譜」が使われていることもあり、「簡譜なら読めるけど五線譜は苦手」という人は珍しくありません。

話が長くなりましたが、「オルドス民歌経典」で五線譜を添えているのは、外国人研究者を念頭に置いたと考えられます。国内向けには必要ないのですから。

内モンゴルでもオルドス地方は、とても興味深い地方です。モンゴル人の居留地域としてはめずらしく、黄河の南側。モンゴル文化の中心地から離れているために、かえって古い文化が残っていると同時に、漢族など他の民族の交流で生まれた文化的側面もある。民族音楽にしても、モンゴル語でも漢語(中国語)でも歌われていて、モンゴル起源なのか漢族起源なのか分からなくなってしまった「蛮漢調」という民謡のジャンルがあります。

といって、モンゴル音楽を専攻しようという研究者がそもそも少ないのですから、オルドス民謡285曲の曲名を特定しようという奇特な研究者が、国外に出てくるとはあまり思えないなあ。

いったい何のために膨大な精力を費やして、「オルドス民歌経典」を制作したのか。使えないんだよなあ、これが。いやはや。

いま、ふと思いついたのだけど、もしかしたら私が入手したセットだけ、別紙の曲目一覧を入れ忘れたのかなあ。そうかもしれない。そうだとしたら、それはそれで腹が立つぞ~!