北京の故宮博物院、台湾での政権交代が確定後に台北故宮博物院との交流を停止

 台湾にある台北故宮博物院(正式名称は国立故宮博物院)と北京の故宮博物院の交流が停止していることが分かった。台湾で1月16日、民進党の蔡英文氏が総統選に勝利した後、北京の故宮博物院が交流を停止する考えを明らかにしたという。台湾メディアの中央通訊社が報じた。

 5月20日に就任した台北故宮博物院の林正義院長が25日、立法院(台湾国会)で業務報告をした際、国民党の呉揚志委員(議員)の質問に対して、馮明珠前院長からの引継ぎ事項として、1月16日の総統選が終わった後に、北京側が所蔵する文化財を台北故宮博物院に貸し出さないと表明したという。

 

 北京側は学術交流などの継続については言及していなが、台北故宮博物院では「交流をしばらく停止する考え」と受け止めている。

 

 台北故宮博物院を訪れる大陸人見学者は5月、前年同月比で2割ほど減少している。林院長は博物館の存在意義を「観光のためか、芸術のためか」と改めて考え、博物館とは「芸術教育を中核とする場所。回帰文化財を研究し所蔵するのが、やはり博物館」と考えるに至ったという。

 

 馬英九政権時代、台北故宮博物院を訪れる中国大陸客が激増し、台湾人やその他の外国人客から「混雑しすぎて落ち着いて鑑賞できない」、「大声を出すなど文化施設でのマナーがなっていない」などの批判が出ていた。

 

 林院長によると、台北故宮博物院の特別展で台湾人入場者が減っていることには憂慮しており、至らぬ点があれば博物館の責任と考えているという。

 

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◆解説◆
 「故宮」とは「かつての宮殿」の意。北京市中心部にある故宮博物院は清朝崩壊まで「紫禁城」と呼ばれ、1911年勃発の辛亥革命以降は「故宮」と呼ばれるようになった。現在では博物館として機能しており「故宮博物院」の名だ。

 

 辛亥革命後も“ラスト・エンペラー”であった溥儀はしばらく、「故宮」に居住することが認められたが、溥儀の英国人家庭教師だったレジナルド・ジョンストンが著した「紫禁城の黄昏」には、当時の紫禁城関係者が大量の文化財を不正に持ち出して売っていた様子が紹介されている。

 その後、溥儀が故宮から追放されると、国民党政府が故宮の文化財を管理するようになった。日中戦争が本格化すると、蒋介石は故宮にあった文化財を中国南方に「疎開」させた。第二次世界大戦後に国共内戦が勃発し、国民党の敗色が濃厚になると、蒋介石は故宮の文化財を台湾に運ばせた。

 

 その後台湾では1965年に、「紫禁城由来」の文化財が一般公開されるようになり、博物館としての名称は「国立故宮博物院」となった。蒋介石の命で台湾に運び込まれたのは、北京の紫禁城にあった文化財の3割程度だが、「良品」を精選したので、北京の故宮博物院に保管されているものよりも価値が高いとされる。

 

 北京と台北の故宮博物院については、ジャーナリストの野嶋剛氏による「ふたつの故宮博物院」(2011年、新潮選書)や「故宮物語」(2016年、勉誠出版)に詳しい。(編集担当:如月隼人)

関連:

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参考:

總統大選後 北京故宮文物暫停對台交流(中国語)