ことば:チャンコロが「ポコペン!」と叫ぶ これはいったい、どういうことか

のっけから、大顰蹙(ひんしゅく)の書き方で恐縮。もし、中国人の読者がいらしたら、気を悪くされるかな。いや、中国人を侮蔑しようということではありません。日本語における民族差別の用語を考えてみようということです。すこし後には、公平さを求める意味もあり、中国における日本人蔑視のことばも、しっかりとご紹介して分析します。

 

さて、「チャンコロ」が中国人を侮蔑的に言うことばであることは、ほとんどの日本人が知っていると思う。今では多少、古い言い方になってしまったみたいですが。では「チャンコロ」の語源とは何か。これが意外に、差別用語でもなんでもない。「中国(ヂョングオ)」の音によるのですね。

 

日本語には清音・濁音の音韻の対立概念がある。中国語にも同様の対立概念があります。細かい議論は別に、中国語の濁音(無気音)は、日本語の濁音よりも軽く響く。私は無気音をカナ表記する場合には濁音としますが、実際にはもっと軽い音。「ヂョングオ」でなく、「チョンクオ」と書いてもそうおかしくない。この「チョンクオ」の音を聞いた日本人の耳には「チャンコロ」と響いた。そういうことです。

 

では「ポコペン」とは何か。原語は「不够本(ブゴウベン)」とされています。「够」は「足りる」だから「不够(ブゴウ)」で「足りない」。「本(ベン)」はここでは「元手」の意味。つまり、日本人と商売をした中国人がしばしば「不够本! 不够本!」と叫ぶ。「それじゃ、元手にもならない!」と訴えるわけです。

 

もちろん、駆け引きもあったのでしょうが、取り引きをなんとか有利にしようとして「不够本! 不够本!」と繰り返す。日本人としては、中国人はとにかく「ブゴウベン=ポコペン」と言う奴らだということになったというわけです。

 

「チャンコロ」にしろ「ポコペン」にしろ、日本語として軽々しい音感の文字列にはしていますが、本来は軽蔑の意味があったわけではない。ただ、それが事実上の差別用語になる。

 

考えてみれば、日本語で外国人を蔑視する言葉に、本来の意味から侮蔑的だったことばは、あまり思い浮かばない。「鬼畜英米」なんてありましたけど、あれは官製の用語でした。自然に発生した言葉とは言い難い。

 

あえて言えば「毛唐」かなあ。そういえば、大昔にこの話題を論じ合った中国人の友だちに、「日本語にある外国人の蔑称とその意味を教えろ」と言われたので、思いついた「毛唐」を教えました。毛むくじゃらで獣みたいに思えたという説明には、「たしかにそうだ」と納得してもらえました。続けての「唐」の説明で困りましたね。

 

中国人を馬鹿にしているから「唐」としたのではないか、と言われた。そうじゃなくて、日本人にとって、長い年月にわたり「外国=中国」のイメージがあった。「日本人にとって中国とはすなわち唐のイメージが強かった。遣唐使時代からの感覚」と説明し、だから「毛むくじゃらの外国人」ということで「毛唐」の言い方が自然発生したと説明したら、大笑いして納得してくれました。

 

さて、冒頭で宣言したように、中国人が日本人を侮蔑的に呼ぶ名称をご紹介します。日本人読者の多くもご存じと思いますが「小日本(シァオリーベン)」と「日本鬼子(リーベン・グイヅ)」が代表例です。

 

「小日本」には、戦争中ぐらいの日本人の体格が小さかったということと、日本が小さい国という2つの意味が込められている。「日本鬼子」の「鬼」は本来、日本語の「オニ」とは違い、「亡者」、「亡霊」の意です。日本人だけでなく外国人全般を「鬼子」と言います。

 

「鬼子」とはつまり、自分たちとは全く別の価値観・文化を持っている者で、やってきては災いをもたらすといった意味が込められています。

 

ここで興味深いには、中国語の「外国人蔑称」には成立時点から、しっかりとした意味が込められていることです。「日本人は小国のチビのくせに悪いことをする。だから許せん」、「まるで悪霊だ。来なくてよいのにやって来て、災いをなす」という考えが、込められている。

 

あらためて、日本で生まれた「チャンコロ」や「ポコペン」の語を見ると、言葉そのものに侮蔑や非難の意はない。ただ、中国人の発音に違和感を覚え、つぎに中国人に対する侮蔑や違和感を重ねあわせて差別的用語になっていったという構図です。

 

ちなみに、ロシア人のことを「露助」と言ったりしましたが、これもロシア語でロシア人を指す「ルースキー」の音によるものです。本来はロシア人の悪口とは言えず、「露助」という軽蔑するような感じの文字を当てはめただけです。

 

これは、どちらがよいかという問題ではない。中国人と日本人のことばに対する根本的な感覚が反映されていると思います。中国人は、言葉(漢字)の原義に敏感。日本人は、感覚的に音から言葉を選択する傾向が強いということではないかなあ。

 

ちなみに、中国人は日本人が「支那」という言葉を使うことを、非常に嫌がります。英語のChinaと同系統の語ですからね。中国人がChinaを喜んで使って支那を忌避するのは論理的におかしいとも思いますが、利害問題がなければ相手が嫌がることをするのは大人気ないと思っていますから、私は特に理由がなければ使いませんけど。

 

で、この「支那」の語についてですが、中国人はしばしば、「『支』は『本筋でない』、『那』は「あっち」を意味するから(現代中国語で『那』は『あれ』、『あっち』の意)だから、中国人を侮蔑することば」と言ったりします。

 

まあ、日本人はそもそも、そこまで語義を考えて「シナ」と言ったわけではないのですが、中国人がこだわるのは、彼らの言語感覚からして、たしかにそうなるかなあ、と思うわけです。

 

関連:・中国の友人に宛てた手紙 (シナと言う語について)


Posted by 如月隼人