読書:『故宮物語』(野嶋剛・勉誠出版)・・・政治の縮図、文化の象徴を語る90話

 中華文化あるいは中華文明とは何なのかと、改めて考えるきっかけになる好著だ。

 いきなり妙なことを言い出すようで恐縮だが、私は最初、著者が使用する「文物」という言葉に、やや違和感を覚えた。私の語感の問題ではあるのだろうが、「文化財」とか「古美術」の方が、昨今の日本語としてよく使われているのではと感じた。

 

 ところが本書をしばらく読み進んでいるうちに「これは『文物』としか言いようがない」と思えてきた。

 

 中華文明における美術品は、一流品であればあるほど、単なる美術品としての価値――それだけでも、人類の至宝と言わねばならないのだが――を持つだけではない。社会のあり方、政治のあり方、総合的な世界観と密接に結びついた存在として認識せねばならない。そのことを改めて認識した。

 

 そこで、愛用している小学館の国語大辞典で調べてみた。「一国の文化の所産であるもの。宗教、芸術、学問、法律などすべて文化に関係するもの」との記述だった。岩波書店の広辞苑も同様だった。たしかに、中華文明圏で生み出された一流の文化財/芸術品は、社会全体ととりわけ密接なかかわりがあるのだから「文物」と呼ぶのが最もふさわしい。

 

 さて「故宮」のことに移ろう。本来の語義は「かつての宮殿」だ。清朝最後、そして中国史上の最後の皇帝となった愛新覚羅溥儀は、多少の紆余曲折があったが中華民国時代になって北京の宮城から追放された。「紫禁城」が「故宮」になった瞬間だった。宮廷関係者や溥儀らが自らがすでに、、居城から「文物」を外に出したこともあったが、歴代皇帝の収集した膨大なコレクションの多くは「故宮」に残った。

 

 その後、蒋介石が日中戦争期に「故宮の文物」の多くを疎開させ、さらに共産党との内戦に敗れために、文物の多くが台湾・台北に移動することになった。そのあたりは日本でも比較的知られているが、本書は「北京と台北以外の故宮」についても詳しい。本論ではこれ以上書くのを控えるが「知的好奇心を強く刺激する記述が続く」と、ご紹介しておこう。

 

 ちなみに、「故宮の文物の多くは台湾に移った。北京に残っているのは建物だけ」といった言い方があるが、本書は「必ずしもそうでない」と明確に指摘している。

 

 そして本書は、「蒋介石にとって故宮とは何だったのか」、「台湾人にとって故宮は何なのか」、「中国人にとって故宮は何なのか」というテーマを追い求めつづける。そして彼ら、特に台湾人が現在、台北故宮をどう認識するかを模索していることを示す。台湾人にとって故宮は「自らは何者なのか」との問いと密接に結び付いた存在なのだと、改めて理解することができる。

 

 全90話のどれもが、極めて興味深い記述でいっぱいなのだが、私は69話以降の「故宮をめぐる人間たち」を、さらに言えば78-90話の、インタビューを特に高く評価したい。これだけ多くの故宮院長経験者を含む関係者を取材したジャーナリストは、世界でもおそらく著者だけだろう。この部分を読めば、著者の「故宮論」にどうしてここまで説得力があるのか、納得することができる。
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 著者は2011年に、『ふたつの故宮博物院』(新潮選書)という書籍を出している。本書『故宮物語』は、著者にとって「故宮シリーズ第2弾」ということになる。本書では前書きに相当する「故宮一話」で、『ふたつの故宮博物院』についての著作の動機を「私自身は、歴史学も美術史も学んだことはありません」、「故宮という一つのフィルターを通じて、中国や台湾、そして日本が絡んだアジアの近現代史と現代政治を描きたかったのです」と説明している。

 

 近現代史や現代政治を描くという目的意識は本書にも貫かれているが、本書は一方で、個別の文物の紹介に37話を割いている。専門家ではないと謙遜しているが、実に鋭い作品論が随所にある。思うに、著者の生来の美的感覚に加えて、中華社会、中華文明、そして歴史観を含めた政治の問題を考え続け、台湾人や中国人と数多く接触し、彼らの発想を肌で知ることが、鋭い指摘として結実したのだろう。

 

 ただし、本書は美術書ではなく、まして画集や写真集でもない。そのため、掲載されている写真が多いとは言えない。そこで最後に、本書を読むための私なりのアイデアをご紹介したい。本来ならば、本書で紹介されている文物は、台北故宮にまで足を運んで鑑賞するのが最もよいのだろうが、なかなか大がかりなことになってしまう。第一、常に展示されているとは限らない。

 

 こんな場合に役に立つのがインターネットだ。本書の記述を読んでから、検索サイトを使ってで該当の文物を目にしてほしい。著者がどれだけ真剣に、故宮と故宮収蔵の文物と向き合ってきたかを改めて実感できるはずだ。なお台北の国立故宮博物院は公式サイトに日本語ページも設けている。本書で取り上げている文物のすべてが紹介されているかどうかは確認していないが、いくつかの画像を検索して、改めて本書の該当部分を読み直し、さらに得るものがあったとご紹介しておく。多少なりとも手間がかかるが、それだけの収穫は十分にあるはずだ。

 本書は、台湾で中国語版が出版され、中国大陸でも出版予定という。中国と台湾で発生している政治的問題の当事者ではなく、しかし歴史的には中華文化の影響を極めて大きく受け、近現代史でも中国や台湾と密接にかかわった日本人という、「部外者ではあるが、最もかかわりがある」という立場にある著者の忌憚なき見方が評価されたようだ。(編集担当:如月隼人)

 

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Posted by 如月隼人