雑記:批判を承知であえて言う 共産党政策委員長の「人殺し予算」発言は、どこがダメなのか

2016年6月29日

共産・藤野保史政策委員長「防衛費は人を殺す予算」取り消し NHKでの発言、番組後に「不適切」認める

日本共産党の藤野保史政策委員長が26日、出演したNHKの番組で増大する防衛費について「人を殺すための予算でなく、人を支えて育てる予算を優先させていくべきだ」と発言しました。同発言に対する批判が強まっています。

藤野氏も同党の志位和夫委員長も、同発言について「不適切」と表明しました。私も文脈上、極めて不適切な発言と思います。ただし、気になるのは、同発言に対する反発が、主に「人殺し予算」という言葉使いだけに対する感情論に終始していないかということです。

自衛隊の違憲/合憲論争はさておくとして、自衛隊は本来、「国防」のためにある。そのために、多額の国家予算を割いている。このことに対する異議は、あまりないと思う。

外国から、あるいはテロ集団から日本が危害を加えられたら、あるいは危害を加えられることが明らかになったらどうするか。もちろん「実力」ではねのけるしかない。とすれば、さまざまな武器装備、あるいは自らの肉体でこちらを攻撃する相手に対抗する。相手の命を奪う行為もすることになります。

つまり、自衛隊とは「いざという時の人殺し」をするために、作られた組織です。社会の一般的な倫理通念や、ほとんどの宗教で「だめだ」とされている人殺しを、いざという場合には最も効率よく遂行する。自衛隊とは、そういう存在です。

もちろん、当たり前すぎることですが、自衛隊は私利私欲のために、そんなことをするわけじゃないはずです。罪なき同胞を守ることを目的にしているわけです。つまり、同胞のために「汚れ仕事を引き受ける存在」です。だからこそ、自衛隊に対して敬意を持つべきと考えています。

考えてみれば、軍人にとって最も理想的な生涯とは「いざという時に備えて、日々鍛える。鍛えに鍛えぬく。しかし、鍛え上げた技を発揮する機会を1度も得ずして、定年退職する」ということではないでしょうか。

一般人、企業人でも公務員でも、個人営業でもよいのですが、自らの職業技術を鍛えることが必須。そして、その職業技術を発揮して、新境地を開拓する。成果を得る。これが普通ですよね。しかし軍人が自らの技術を発揮する機会を得たとすれば、それは国家としては傷を負う事態のはずです。軍人は、鍛え上げた技術を発揮する機会もなく、年老いていくのが理想であるはずです。

少なくとも現在の社会においては、軍人の職業目標はそういった矛盾を持たざるをえない。だからこそ、軍人に対しては敬意を持たねばならない。私は、そう考えています。

話をもとにもどします。自衛隊員は、汚れ仕事を担っているのです。状況によっては、「人殺し」もせねばならない。だから、防衛予算を「人を殺すための予算」という言い方は、そこだけを切り取れば、決して間違えていない。ただし問題は、“そこだけ“を切り取ったことです。

まずは、個人としての、そのあたりの感性には大きな問題がある。今の政治シーンで、そういう言い方をするセンスも疑ってしまう。

ただ、「人を殺すための予算」という刺激的な言い方だけに反発するのは、かなりまずい精神だと思う。反論するなら「人を殺すための予算? そりゃそうですよ。外敵から自国を守るためですから。でも必要ですよね。違いますか?」といった、論争に持ち込まねばならぬと思う。

政治というものは、情緒的な要素もつきまとう。それは当たり前のこと。でも、言葉づかいに対して情緒的な反応ばかりが表に出るのも、極めて危険なことと思います。