マスコミ人が「本当にぶん殴られた」話 情報発信の責任を痛感した

昨日は、とてもとても偉そうに「日本のマスコミが心配でしかたない」という記事を書きました。

どんな分野の仕事でも大変なこと、気を遣うことはありますよね。それぞれの分野でいろいろあります。記者や編集の仕事にたずさわる者にも、それなりの気遣いや苦労はあります。

私が「この仕事は大変だ。大切だ」と思うきっかけになったこともいろいろありますが、ここでは経験の1つをご紹介しましょう。

私が編集記者として駆け出しのころ、つまり大昔のことになりますが、担当していた会員向け月刊誌で「ニュースメーカの素顔」という連載をやっていました。つまり、さまざまなメディアの現場担当者や経験者に、体験をお話しいただく、インタビューものです。

そのうちの1つ、某S県の主力紙の、わりと「えらいさん」に話を聞いたのです。ううむ、まどろっこしいなあ。静岡県ですよ。

その新聞の「売り」に「茶葉の相場」があった。今はどうか知りませんが、当時は「取引市場」なんてものはなかった。茶葉を扱っている会社を順繰りに尋ねて話を聞き「昨日の相場」なんて指標を掲載していた。

そういう取材では、相手との信頼関係が大切です。日参して、仲良くなって、そのまま掲載する情報だけでなく、いろいろと教えていただく。それが記者にとって「肥し」になるのです。

で、その記者ですが、通いなれている茶葉取り扱い業者のところに行った。いつもは笑顔で迎えてくれる社長に、会うなり「拳骨で顔面を思いっきり殴られた」そうです。その社長に「オレを殺す気か!?」と怒鳴られた。

なんでも、その日の紙面に載せた茶葉の価格に納得がいかなかったそうです。その業者だけでなく、複数の業者を取材した上での結論だから「今でも、あの情報は正しかったと思っている」との説明でしたが、「自分らが発信する情報は、社会のさまざまな立場の人を殺すことにもなる」と身が引き締まる思いだったそうです。

私はその話を間接的に聞いただけですが、それでも身が引き締まる思いがしました。記者稼業を始めた際に、師匠である編集長から「いいか、情報というのは人を殺すことがあるんだぞ」と何度も言われましたが、「茶葉業者からいきなり殴られた」との話で、「そういうことか」と遅ればせながら実感した次第です。

「情報を出す側の責任感」という言い方は、あまりしたくないなあ。根本的には「誇りの問題」と思うのですよ。「これは正しいことだ。ただしい情報を世間に出すことは、出さないよりもよい結果を絶対にもたらす」と信じていなければ、情報発信を主とする稼業な、とても続けていらえない。

というのが、私の考えなんですけどねえ。最近は、どうもそうではなく「致命的な批判を浴びないこと」を重視する(自称)メディア責任者がいるようで、果てしなく気が重くなります。はああ。(偉そうなことを言うわり、私には誤字が多すぎる。果てしなく情けない。はああ)