李鵬元首相の長男、李小鵬氏が交通運輸相に就任 腐敗問題は「不問」の声も

中国国営の新華通信社は3日、全国人民代表大会常務委員会が3日、山西省の李小鵬省長を中央政府・交通運輸部部長(交通運輸相)に任じることを決めたと伝えた。李鵬元首相の一族には、腐敗疑惑を指摘する声が根強いが、今のところ摘発の動きはない。1989年6月の「天安門事件」で李元首相が断固たる鎮圧の方針を貫いたため、腐敗問題については「免罪」となったとの見方もある。

 

 

李小鵬氏は1963年生まれ。祖父の李硯勲氏(1903-31年)から続く、共産党一家の3代目だ。李硯勲氏は非合法時代の共産党で、同党広東省軍事委員会書記を務めてが、国民党にとらえられ処刑された。そのため、周恩来首相が遺児の李鵬氏(1928年生まれ)を育てた。

李鵬元首相は1948年から55年までモスクワに留学し、主に水力発電技術を学んだ。帰国後は電力事業に従事し、政界入りしてからも電力畑を長く歩んだ。首相在任中の1989年に発生したいわゆる天安門事件では、党・政府の上層部の多くが動揺する中で、断固たる鎮圧を主張しつづけたとされる。

その後の李鵬首相については、政界でも批判の声が強く、民衆の支持もなかったが、最高実力者だったトウ小平氏が、天安門事件時の「功績」を極めて高く評価したために、共産党・政府の最上層部にとどまった。

長男の李小鵬氏は中国五大発電会社のひとつである中国華能集団の社長などを経て、2008年に政界入りした。政治家としての「下積み」を全く経ずに、山西省の副省長に就任する異例の人事だった。政界入りしたのは、父の李鵬元首相が脳梗塞で倒れたためとみられている。李小鵬氏は13年に、同省の行政トップである省長に就任した。

李鵬元首相の一家については「悪い噂」が絶えなかった。妹の李小琳氏は中国電力国際発展有限公司の会長などを務めており、12年に発足した習近平政権が腐敗撲滅や綱紀粛正、贅沢自粛を進めているにもかかわらず、公の場に豪華な衣装を身に着けて現れるなどの行為が批判されたこともある。李元首相一家は、中国の電力界において、巨大な利権を握っていると見られている。

李元首相次男の李小勇氏は1998年、シンガポールに移住し、同国国籍も獲得した。同年に発生した汚職事件に関与した疑いがあり、シンガポールに移ったのは「難を避けるためだった」との見方がある。同事件では有罪判決で死刑を執行された被告もいた。

習近平政権は、地方政府の腐敗問題に対しても「巡視チーム」を派遣するなどで、摘発を続けてきた。山西省にも「チーム」が派遣された。同省は腐敗現象がとりわけ深刻とされ、政府や党支部(共産党地方委員会)の上層部の多くが失脚した。李小鵬省長も一時、公の場に姿を見せないなどの状態になったが、その後再び、活動が伝えられるようになった。

李小鵬省長の異動に伴い、山西省では楼陽生副省長が代省長(省長代理)に就任した。同省人民代表大会の承認を経て、正規の省長に就任することことが通例だ。習近平政権はこのところ、各省上層部交代を進めていることから、李小鵬省長の異動を予測する声も、7月ごろから出ていた。しかし、交通運輸相就任を予想する声はみられなかった。

前任の楊伝堂交通運輸相は、「職を免じられた」とだけ伝えられた。楊氏は1954年生まれで出身地の山東省で共産主義青年団(共青団)省委員会副書記を務めるなどの経歴があり、同団中央書記処の第一書記を務めた胡錦濤前国家主席と近い関係とされる。

楊氏は2004年に共産党のチベット自治区委員会書記に就任したが、05年には離任した。脳梗塞の発作を起こし、北京に搬送されて治療を受けたとされている。その後、しばらくは消息が不明だったが、11年ごろには公務復帰が伝えられ、12年8月には交通運輸相就任が決まった。

「省長から閣僚へ」との李小鵬氏の異動は「横滑り」人事であり、李氏が今後、中央政界で急速に地位を高めるとは考えにくい。一方で、楊伝堂氏から李小鵬氏への交通運相の交代は、中国共産党上層部における複雑な勢力争いを反映したものだった可能性がある。(編集担当:如月隼人)

【関連】
中国の兵員削減が難航か 習近平主席「退役軍人を割り当てられた職場の拒否は認めない」
中国政権に改めて異変の兆候 全国規模の水害対策でも習近平主席の存在感、李克強首相の影薄く